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福岡・九州地域演劇祭
プロフィール たかさきの簡単プロフィールです。 PINstage たかさきの舞台芸術関係の活動の屋号です。 FPAP 福岡の演劇等舞台芸術を支援するNPO法人です。最近のメインはほとんどココです。 九州地域演劇協議会 九州内の6つの地域演劇支援団体により設立。 FPAP職員の日々之精進 FPAP常勤職員がおくる赤裸々日報。 制作者は語る(fringe) 全国の制作者による注目のブログです。 昨日 今日 トータル にほんブログ村 スパム対策でトラックバックには、送信元記事にこのブログへのリンクが必要になっています。どうかご了承ください 最新のコメント
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2026年 03月 16日
こういう議論、5〜7年に1回くらいでてくる。 しかし、状況は変わらない。 っていうのをみているので、これまで、あまりセンスのいい着眼点だとは思えなかった。 しかし、近年地域演劇シーンには変化が出ていて、それに沿って、紙チラシの重要性が変わってきたとは言えるかもしれない。 まず、紙チラシが良い理由として ・情報が実にきれいにまとまっている ・手元にのこる。保存・持ち運びに便利 ・広報の手段として、安価で多くの人の手元に届けられて、これを上回るものはまずない というのがあって、圧倒的。 今後もまず、なくなることがない。 それと、その公演に関わっている人たちに、私たちの公演がどうありたいのかという完成系をイメージするためのツールになる。 また、広報というのは、お客さんとなりうる人に、多方向から情報を届けることが重要で、AIDMAの理論もあるけど、できれば3回は情報を当てたい。 例えば、1)チラシ、2)SNS、3)新聞記事で、違うタイミングで3回情報に接すると、観劇への行動を起こしてもらいやすい。 (一番いいのは、口コミ) 他にもテレビCMとか、街頭宣伝とかいろいろあるけど、3回の情報をあてるのも結構大変で、チラシをやめるとその可能性がだいぶ減ってしまう。 それで、近年の地域演劇シーンには変化ということについてだけど、以前、地域演劇シーンは、脚本・演出家という個性(才能)があって、その個性(才能)を核とした、団体性と作品性が、シーンの中核を担っていた。 いわゆる劇団というやつだ。 この場合、どういう団体であるか、どういう作品であるのかということのPRが求められる。これは複雑な情報になる。 近年、ここには変化が現れて、タレントであったりアイドルであったりの、「タレント性」が核となる公演が増えてきた。演劇好きというより、そのタレントのファンが見にきてくれる。 この場合は、誰が出るかということがわかればよい。作品の内容とか団体の方向性とかは、どうでもいいのだ(どうでもいいとまでは言わんけど) 出演者だけの情報なので、これは非常にシンプル。ファンだから、その人のSNSをフォローしていて、公演の情報は簡単に届くし、3回情報を与えなくても、出演情報一発で、観劇への行動を起こしてもらえる。 まぁ、そんな単純なものではないけども、基本的な構図として大きく誤っていないだろうし、演劇に限らず、「タレント性」が核となっている場合は、紙チラシへの依存度は、小さくなると言っていい。 「タレント性」が核となっている公演で、チケット代の高さの割に、チラシのクオリティが低いものはよく見受けられて、優先度が低くなっているとも考えられる。 演劇公演で、チラシがいるかいらないかは、団体によって変わってくる。「紙チラシは必要ないんだから、お前ら紙チラシとか作るな!」という話にもなりようがない。 というところから見ても、議論としてはあまり重要なものではないかなと思う。 そういえば、昔、東京の話だけど、30枚とか50枚とかのチラシ束が普通で、紙チラシ不要の人の意見として「紙を捨てる責任を押し付けられた」という意見があって、うわー、すごい意見だな、、、ものすごい被害者意識を拡張する意見だな、、、って思ったことがあった。 #
by sailitium
| 2026-03-16 12:19
| 制作的なこと(演劇)
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2026年 03月 03日
劇団言魂から、劇団集合チキューンに名称変更。第二の旗揚げとも言うべき公演。見れてとても良かった。前売2,500円 120分(以前見た芝居) 客席に入ると、丁寧に作られた装置で、盛りも十分。本格的な公演の予感。 この予感は裏切られず、脚本/演出/演技/テクニカルワーク全てにおいて手抜きが感じられず、本格的な小劇場の演劇公演が見られたという満足感を感じた。 と、ここで終わると、批評性のない感想みたいになっちゃうので、批評性ももって書く。 小劇場系演劇の公演は構造上、多少の粗が残ることもやむを得ないというか、ノイズの残るアナログレコードみたいに、そこも含めて、楽しむという見方があると思う。 もちろん、粗が多すぎるのはだめだけども。 商業演劇の多くは、計算された冒険の範囲で、手堅く冒険と完成度を両立させたりして、まったくすごいと思うが、成功の計算がおぼろげにしか立っていない文字通りの冒険も見たいと思う。 それを、見せてもらったなという感じがする。 脚本で言うならだけど プチ氷河期というのは、作家が捉えた今後の世界観だろう。その中で、家族というものは、一つの拠り所になるんじゃないかというのが大きな構造だと私は、見て取った。 脚本には大技が2本、中技が1本しかけれられていたが、特に違和感なく、受け止められた。これもすごいことだと思う。 (20年冷凍睡眠して目覚める、冷蔵庫と結婚する、電子レンジかぶる) 一方、これほどの大技が、プロットの段階にとどまり、あまり掘り下げられてないというか、脚本やテーマの幹になりきれていない感じもした。 もちろん、そうしないという狙いがあったのかもしれない。 セリフの掛け合いが冗長に思える部分もあり、水掛け論を繰り返すようなところや、ストーリー展開につながらない(と見えた)ところは、整理できたかなと思う。 引きこもりへの特効薬みたいなのは安易だし、相談員の方が引越しのバイトもしているというのは、無理があるような気もする。しかし、ああするしかない感じもする。 これは、好き嫌いだが(上述してるのも好き嫌いかもしれないが)最後、春香でしめるなら、やっぱ最初の方も春香で始めたほうが、形は整うよね。 あと、それまでずっと、郡山家が舞台だったところ、最後は、春香が住む部屋になるから、テーブルクロスを引くとか、ちょっと、違う場所ですよというところに入りやすい工夫はあっても良かったかも。 今回、多様な年齢層の出演者が出ていて、それが作品の盛りを増やしたよね。なんかお得な気分になった。これも冒険だったと思う。 役者は概ね一定の水準にあると思えたが、演技の方向性が揃ってないところは少し気になった。 おばあちゃんとイクが両翼かな。他の人はその範囲にいる感じ(イクのリラックスして自由な演技は、私には軽い感動がある演技だったののだけど)。 ちなみに紅あかねさんは、ああいう役はあんな感じで、演技の方向性が違っていても気にならない。 個人的には、レイコさんの演技はこの作品でかなり効いていたような気がする。 小ネタ的なセリフも多く、私はだいぶクスクスした。 と、枝葉的なことを書いたが、全体としては、世界への洞察や愛に満ちた本格的な小劇場公演を見せてもらったという感想。 盛りとは、、、 盛りが少ない、、、いろいろ簡素化する方向でつくると盛りが少ないと感じる。素舞台、照明無し、音響無し、衣装シンプル。登場人物少ない。 盛りが多い、、、、 装置をちゃんと作って空間を埋められている。衣装も考えられている。音響もいろいろ手がかかっている。登場人物が多い。 (多ければいいってもんじゃありません。盛りが少なくてもいい芝居はあります。しかしながら、7割くらいは手を抜いているあるいは、そこまでの力がないようにかんじます) #
by sailitium
| 2026-03-03 12:55
| 観劇して|感想・批評
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2026年 02月 19日
先日、福岡県政府の文化振興プランを見ていたら、驚いた。その中には、いろんな計画があるのだけども、 とにかく、イベント(ワークショップや公演など)はとにかく福岡市内でやる。やる。やる。やる。 そして、補足的に、それ以外の地域でもやるって書いている。 (誇張はありますが、都市偏重です) もう、福岡市は、そこそこの規模があって、文化イベントとかいろいろあるのだから、そこに重ねて県政府がやるひつようあるのか?って思う。 福岡市の一極集中を進めるだけじゃん。 県政府の施設としては、県立美術館も音楽堂アクロス福岡も福岡市内にあって、福岡市民なら気軽に行ける。それ以外の地域ならまる一日潰す覚悟が必要。豊前地域であれば一泊の覚悟が必要なくらいだ。 全部で5項目くらいあって、1〜4の項目では、とにかく都市でイベントをやりまくる。ということが書いてある。 そして、5項目目で、県内の格差を縮小するようなことをやると書いている。 自分で油を注ぎまくって、火事の火を大きくしておいて、それに少しの水をかける。みたいなことをやっている。 このおかしさに誰も気づいていないというのがすごい。 しかし、これは、以前見た国政府の文化庁とかの計画と全く同じ構造なんだよね。 どっちも5項目くらいあって、1〜4項目は、首都(県の場合は福岡市)で、こういうことをやります!って書いていて、最後の1項目で、地域間格差の是正に取り組みます。って書いてある。 1〜4項目で、都市にめちゃ上積みして、最後の1項目で、地域間格差の是正に取り組んでも大して意味がない。 (予算比とかで見ないといけないけど) 日本全体としても、東京一極集中が進むような国政府の事業になっているし、福岡県で見たときも、福岡市に一極集中が進むような県政府の事業になっている。 そりゃー、格差も広がるわ、、、、 が、、、 しかし、しかしだ、、、、 じゃあ、仮に福岡県の主要施設が分散すれば、どうなるかと考えると、、、 平素のお客さんはだいぶ少なくなる。継続性に問題が出るかもしれない。 また、観光資源が福岡に集中していることで、インバウンドのメリットも当然ある。 っていうか、福岡市とか、インバウンドを日本レベルで見れば、東京、大阪、名古屋、札幌、京都の次くらいだろう。手を抜く余裕はないと言えばその通りだ。 また、福岡市がそこそこに規模があることで、九州から東京への人口流出を、ある程度抑えているという面はある。 まぁ、県政府のプランはそこまでは考えて無いとは思うけど、県レベルになると難しい問題ではある。 東京一極集中は、過剰でいびつなレベル。 少々観光資源が分散しても、ビクともしないレベルなので、この一極集中はなんとかしなければらならい。 #
by sailitium
| 2026-02-19 12:45
| 制作的なこと(演劇)
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2026年 01月 27日
劇団 佐賀さわげ「大罪」見てきた。95分? 3,000-3,500円
仕事で疲れて、自分に自信もなく、列車に身を投げて自殺したように見えた主人公(女性)は、いつの間にか列車の乗客となって、他の仲間と知り合ったり、悪の車掌と戦ったりして、現実にもどり、それまでとは一歩違った自分になった。 というストーリー。多分。バトル的なシーンもある。 主人公が、自分や現実と向き合って、厳しい社会でそれでも前向きに生きていこうというのは、やっぱりいい話だし、疲れている人へのエールだと思う。 人間の7つの罪(強欲、嫉妬、etc)と向き合うという設定で、主人公やその仲間が、ひとつずつ罪を背負っていて、それが明らかになっていくところのプロットも工夫の一つだと思えた。 ブラット・ピットが主演してた映画「セブン」も7つの大罪(嫉妬、暴食、etc.)がモチーフになっていたけど、やっぱどうしても個人的には、セブンを思い出してしまうね。 装置は2階部分のある装置で、全体としては本格的な地域の演劇公演だったと思う。 (以下、批判的なこと書いてます) #
by sailitium
| 2026-01-27 12:39
| 観劇して|感想・批評
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2026年 01月 14日
戯曲ワークショップでも、役者ワークショップでも音楽のイベントでも市民劇の自主製作でもそうだけど。 その劇場や公共ホールとか(以下、劇場)がやる企画では、施設の事業担当者は、予算を管理していて、いいなと思ったアーティスト*を起用して、企画を進めていく。 その点でいうと、芸術監督兼プロデューサーみたいなものだ。 * アーティスト、、、演奏家、指揮者、イラストレーター、脚本家、演出家、ファシリテーターなどが想定される。 避けたいのは、お願いしたアーティストに丸投げになってしまって、劇場がやりたいことじゃなくて、そのアーティストがやりたいことをやってしまうようなことだ。 ひとりのアーティスト(あるいは団体)を選んで、この人に好き勝手にやらせるという企画こそが狙いの場合は別ですよ。 特にワークショップでは、講師が最近関心のあることにフォーカスされたりして、思い出講座、教養講座に終わることも多い。 どういう内容にして、お客さんに、どういうものを持って帰ってもらいたいのかは、その劇場に置かれた状況や企画によって異なる。 そして、それが一番わかっているのは、外部から招聘されるアーティストではない。その劇場の担当者だ。 コラボの経験のあるアーティストなら、ギャラをもらってなにかやるということを体得していて、企画が目指すものを理解しようと姿勢を持ってくれる。そして、そのために自分の持つスキルを高度に活かしてくれる。 しかし、そういうことに慣れているアーティストばかりではない。好き勝手にやってもらわないと力が発揮できない人もいる。 (基本的にアートは内発的なものだから、他者の事情に寄り添うとアート性は薄れる。クリエイターとかになっていく) そして、多くの場合アーティストはこの中間にいる。 何も言わなければ、普通は、自分がやりたいことをやるものである。そうすると企画の狙いから外れてしまうこともありうる。 そういうことがないように、現場を運営するアーティストに、方向性を示す。製作や稽古などの進み具合を見て修正する。そこが、担当者の腕の見せ所だろう。 しかしながら、そこが見えてくるのには、最低でも1,2年はかかる。 そして、相手がビッグネームだったりすると、力関係に大きな差があるので、そういう場合は、なにも言えないかもしれない。これはある程度は仕方がないとは言える。 (そもそも制御できない人を起用するべきではないという意見もあるだろうが、それを超えるメリットがあるという判断もありうる) また、詳しくない分野を受け持ってしまっても、その分野のお約束がわからないから色々言うのは難しい。この場合も、アーティスト任せになってしまうのは、これもしょうがないと言える。 短期ワークショップだと、事前に十分な打ち合わせが出来ず、当日一発勝負になりやすいので、この場合も難しいものがある。 #
by sailitium
| 2026-01-14 12:24
| 制作的なこと(演劇)
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