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福岡・九州地域演劇祭
プロフィール たかさきの簡単プロフィールです。 PINstage たかさきの舞台芸術関係の活動の屋号です。 FPAP 福岡の演劇等舞台芸術を支援するNPO法人です。最近のメインはほとんどココです。 九州地域演劇協議会 九州内の6つの地域演劇支援団体により設立。 FPAP職員の日々之精進 FPAP常勤職員がおくる赤裸々日報。 制作者は語る(fringe) 全国の制作者による注目のブログです。 昨日 今日 トータル スパム対策でトラックバックには、送信元記事にこのブログへのリンクが必要になっています。どうかご了承ください 最新のコメント
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2014年 10月 28日
東京で制作者と言えば、ある程度の実力のあるアーティストはもう捕まえていて、そこからすべての話が始まる。
そこがスタート地点だ。 東京の制作者だと、劇団の将来を考えながら、テレビや雑誌というメディアだったり、小説や映画といった展開もたいてい視野に入れて活動しているだろう。 ダンスなどの事例も多く耳に入っていて、海外での展開も視野に入っているだろう。 一方、地域で制作者といえば、そういう力のあるアーティストを捕まえている方がマレだ。東京で言うスタート地点に立つところがまず一苦労だ。 なので東京の制作者と非東京の制作者で見ている風景が全然違う。 それでも6,7割くらいはかぶる部分があると思うけども。 まずは地域での成功、つぎに地域での活動が他地域からも注目を集めるようになっていって東京での活動。 というルートが、地域の制作者の95%が持てる絵図であり、そっから先の風景をイメージできている制作者はあまりいないだろう。 それで、地域で活動するときに、海外とかは基本どうでもいい。 そんな話があれば、ぱっと飛びついては見るが、一過性のものであり、こちらから自発的・積極的に動くようなものではない。 ここらあたりに、東京の制作者と地域の制作者の利害が一致するところと衝突するところがあるような気がする。 どれくらい顕在化しているように見えるかは、立場によって違うだろう。 ■
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by sailitium
| 2014-10-28 12:37
| 制作者のこと
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2014年 10月 07日
制作者に必要な能力、スキル、マインドについて、ちょっと考えてみた。
このブログではなんかいあつかったテーマだけども。 しかし、このテーマ、アプローチが難しいというか、適切なことを言ったとしても 「そんなのは、あたり前」みたいに返されちゃうこともあるからね。 「制作者に必要な能力、スキル、マインド」とかについて、一人前の社会人であること。みたいな回答も見たことがあるが、こういうのが回答として許されるようになると、なにがなんだかわからない。 抽象的すぎるし、人によって解釈が違いすぎる。 心身ともに健康であることとかでも言える。 結局、 ・その人が抱えている問題意識 ・自分は出来ているが他の人は出来ていないこと ・その人が後天的に、努力して獲得したもの あたりにどうしてもなってくる。 それはそれでいいんだけど、なるべくクリティカルなこと、一言にして必要十分条件を満たすようなことを言わないといけない。 どんなことにも例外があるが、例外が例外の範囲でとどまるのかみたいなことも検証しなければいけない。 たとえば、優れたアーティストの条件として、「一人前の社会人であること」みたいなものが設定されたとしよう。 これは一見、納得してしまうけども、例外はとても多い(はずだ)。 こういうのは、よくない。 優れたアーティストの条件は、より多くの人により深い感動を与える作品を作ることでいいと思う。 そうやって、自縄自縛状態でいうけども(笑) 30代くらいまでの、制作系でいうと、自分の属するジャンルの公演が好きで、劇団付きなら年20本、劇場付きなら年40本以上は見に行っているかどうかってところじゃないかなぁと思う。 ■
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by sailitium
| 2014-10-07 11:32
| 制作者のこと
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2014年 08月 08日
商業誌の漫画と編集者のことを題材にした漫画「バクマン」。 名作だし、制作者と劇作家の関係を考えるのにも、とても面白い。 バクマンを見ると、編集者が作家にどういう方向付けするのかが大切なんだなと思う。 しかし、基本はやっぱり作家がやりたいことだ。 とあるマンガ作家が、編集につれられてエイズ裁判の傍聴に行き、そこからエイズ裁判に関心を持ち、傑作といえる仕事を成し遂げたというのを見たことがある。 その編集者の仕掛けがなければ、そうはなってなかっただろう。 商業漫画の場合は、やっぱ生活もかかっているから、より売れる作品になるように作家の意思を尊重しながら、ある種の方向に目を向けてもらうみたいなことも標準作業なのだろう。 このへんは演劇でも応用できるのかもしれない。 しかし、やっぱり作家がやりたいことが第一だ。それに、たいていそういう社会問題について、 、劇団の中でもっとも関心が高いのは劇作家だ。 微妙に話し変わるが、書けない作家に仮託された登場人物が主人公である演劇作品をよく見る。 小説家や詩人などに託される場合がある。時に、劇作家がそのまま出てくるようなこともある。 そんなに劇作家が、書くネタに困っているようなら、なんか誘導しても、いいんじゃないかと思う。 それと、世の中には、社会ウケしそうなテーマみたいなもんがある。そういうのが作品にあるのは、劇団の戦略上は有利だ。ハイバイとかやっぱりそういう部分での注目も集まる。このまえテレビでインタビューされた。 作家の意思ややりたいことをよく理解した上で、そういう方向に目を向けてもらうようにもっていくのも、アリなのかなと思う。 ときどき、そういう社会的なテーマに振り回されていたり、テーマの本質に迫れてなかったりするような作品もないわけではない。 社会問題への有効性とは別に、演劇作品として成立しているのかどうか、その見極めも必要だ。その見極めも結構難しい。だから、やっぱ難しいといえば難しいことかもしれない。 そこまでいくと、ドラマトゥルクの領域の仕事というかんじになるね。 ちなみに、制作の仕事をひろく捉える立場からは、そういうドラマトゥルクも制作の範疇という説得力のある意見もある。 すでに、そういうことをやっている制作の人も多いだろう。 終わり。 ■
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by sailitium
| 2014-08-08 13:28
| 制作者のこと
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2014年 07月 31日
こんなブログかいてた訳だが、
「制作・プロデューサー・アートマネージャーの違いや必要とされる資質・育成や研修方法について」 読み返して、考えていると、 一番重要なのは、 ・日本の演劇シーンをなんとかしてやろう(変革してやろう) ・地域の演劇シーンをなんとかしてやろう(変革してやろう) ・この劇団をなんとかしてやろう(変革してやろう) とかいうモチベーションなんだなと、ふと気づきました。 制作事務の場合、お手伝いしたい、サポートしたい、職業としたいというモチベーションであって、それは枠組みの中にとどまるけども、プロデューサーはその枠組を拡張しようとするものなんだなと。 なんで、一番重要なのは、熱意、意欲、モチベーション。ってことで。 こういうことをいうと、 「それは当たり前のことであって、、、」 みたいな言葉が出ることがある。 虚をつかれたような感じがあるから、そのリアクションも、もっともだけども、この言葉はあまり正しくないと思う。 当たり前だけども、当たり前すぎて言葉として認識できないこととか、確認を怠ったりしたことが往々にして失敗の原因になることがある。 当たり前だと思っていたことが、相手にとっては当たり前でなく、その文化やハウスルールの違いから、コンフリクトが起きることもある。 当たり前を確認することは重要だ*。 たとえばやっぱ制作事務であれば、言われたことをやっていいケースがやはり多い。なんかやっぱりモチベーションに大きな違いがあるということが、もっとも主要な区別要素じゃないかという気がする。 福岡の場合で言うと、非商業の舞台芸術やアート系の分野で、プロデューサー的なことをやっている人は、みんなすごい熱意がある。 子どもと芸術文化の出会いとか、演劇のフリーペーパーとか、地域と芸術文化とか、現代アートとか、やっててとても儲かるようには思えなくて、相当の熱意がないとやれないことだと思う。** それと、プロデューサーに最も必要な要素がわかれば、育成の方法も見えてくる。 More ■
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by sailitium
| 2014-07-31 12:37
| 制作者のこと
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2014年 07月 27日
制作・プロデューサー・アートマネージャーの違いや必要とされる資質・育成や研修方法について書いたブログをまとめてみました。
昔は、制作とプロデューサーに必要な資質についてまでは、見えていませんでしたね。 2015年 すぐれたプロデューサーとかサラリーマンが公共劇場に入って活躍することは聞くが、その逆は、、、、 http://sakuteki.exblog.jp/21966693/ 経営的な能力のある優れた制作人材(プロデューサー)の育成に、正規雇用の環境は逆効果。 http://sakuteki.exblog.jp/22016075/ 制作者の雇用とかの環境とかの話を聞いていて、個人的に感じること。降ってきた仮説。 http://sakuteki.exblog.jp/22018557/ 2014年 2014年 01月 27日 2014年 05月 08日 2014年 05月 19日 2014年 06月 16日 2014年 07月 10日 2013年 2013年 05月 08日 2013年 06月 03日 2013年 08月 26日 2012年 2012年 06月 01日 2012年 10月 16日 2012年 12月 18日 それ以前 2006年 06月 29日 2010年 12月 21日 ■
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by sailitium
| 2014-07-27 13:55
| 制作者のこと
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2014年 07月 10日
以前fringeが、日本全国の制作的な新しいアイディアの実践をトピックでどんどん扱っていた。今思えば、あれはアイディアとか実践内容だけじゃなくて、制作者個人にも注目していたように思う。
そのトピックをみて、たとえば札幌にはこういう人がいるんだなとか、仙台にはこういう人がいるんだな。みたいなことが情報として入ってきてた。 言い換えると、ここに注目すべき人材がいるぞ!みたいなことの発信になっていた。fringeで注目されることが、制作者の励みになっていたように思う。 たとえば、今、柿喰う客のプロデューサーをやっている斎藤さんの名前を知ったのは、7,8年位前だったと思う。当時、斎藤さんは大阪の劇団のプロデューサーをやっていて、そのカンパニーの東京公演で、制作的な新ネタをやってそれがfringeに取り上げられているのをみたのが最初だったと思う。 それで、そのネタは忘れちゃたけど、これはおもしろい人がいるなと思って、偶然東京に行く用事があったので、芝居を見に行って、さらに芝居もめちゃ面白くて、、、みたいな流れで面識を得るに至った。 fringeのトピックで取り上げられていて、それで自分が「ここに、面白い人がいるな」とチェックした人は多い。 自分も、何度かトピックで扱ってもらって、そのおかげで名前を覚えてもらえたということがあると思う。それは励みになったし、他地域の面白い制作者の情報をfringeトピックで見て、ライバル視まではいかないにしても、励みにしたものだ。 全国共通の学力試験で、他県のあったこともないやつだが、名前をよく見る奴がいてなんか覚えて、軽くライバル視してる。みたいな。そんなんノッたことないけど(笑)。 それで、このまえ岡山アートファームのやってるユーストリームで、平田オリザさんが出ていて「自分は劇作家には何も教えていない。が、「仙台劇のまち戯曲賞」で柴幸男さんを見出した。そうやってちゃんと評価することが大切なんだ。」的なことをおっしゃっていた。 これは、いままでも何度か聞いたことがあるが、上記のfringeトピックの話と重ねて考えた時に制作者と劇作家の育成というものにとって、示唆深い話だと思う。 劇作家の育成については、ひとまずおいておくとして、制作者の育成ということを考えた時に、顕彰とまではいわないにしても、ここに面白い人がいますよと、企画とともに人に着目するというのが大切なんじゃないだろうか。 ここから制作とプロデューサーをわける。 制作の育成には講義や座学は有効だと思うけど、プロデューサーの育成にはあんまり有効じゃないと思っている。 「プロデューサーになるためにはどうすればいいのでしょう」という質問は、可能か で書いたように、プロデューサーに要求される資質は独立不羈ということに尽きる。 かといって、他にいい方法があるかと言われると手は限られるので、やれそうなことはなんでもやるしかないわけだけど。 その中で、企画とともに人にフォーカスしていくというのは有効なんじゃないだろうか。 地域演劇で20代の面白い制作者が出てきてないなと感じる。これはfringeトピックの成果を裏書しているのではないかとも思う。 そういう人材はいて、活躍もしているが、自分のアンテナに引っかかってこないだけということもあるかもしれないが。 (補足) 育成って言葉は、 波及効果とメダル落としゲーム http://sakuteki.exblog.jp/12922708/ ここで使っているような意味で使っています。 ■
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by sailitium
| 2014-07-10 08:30
| 制作者のこと
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2014年 07月 03日
先日、とある劇団主宰の方が「いい劇団さえ捕まえれば、制作は勝ちみたいなことになっている。」 みたいなことをおっしゃっていて、ちょっとガーンってきた。これについて考えてみたい。 (主に、東京とかの話になると思います) (この場合の制作とはプロデューサーに近い立場の制作のことを指すものとします。) 力のある作品を生み出せないカンパニーでは制作として力のふるいようがないというのは事実だ。 お金を取る価値の無い作品しか作れないカンパニーでは、一般観客を呼びこむための広報すら、一般観客に対する裏切りだ。 一方、力のある作品を生み出せば、動員も増えるし、ツアーの話も出てくる。それを運営する経験が制作者の能力を伸ばすことは間違いない。 制作的な課題や目標もいろいろでてくるだろう。そういうのに対応することが、政策の仕事だ。 小劇場系劇団付きの制作からスタートして、今日本国内で著名な人といえば、いろんな名前が出るだろう。 たとえば高萩さん、細川さん、加藤さんの3人の名前を思い浮かべるとして、この先輩たちがどういう作品力のある劇団とやってきたかみたいなことを考えれば、もう答えは出たと言ってもいい。 「呑舟の魚は枝流に游がず。」 という言葉がある。 これは魚を飲み込むような大きな魚は、小さな川では泳がない。という意味だ。 泳ぐための大きな湖や海が必要だ。 アメリカ合衆国との同盟が日本にとっての大海である。と言った政治家がいるが、これは漫画ネタなので適当にスルーするとして、やっぱ制作がいろいろな仕事をしようと思ったら、やはりいい劇団を捕まえるしかない。 それは収入にも直結するし、それは長くやろうと思ったら重要なことだ。 極端なハナシ、すっげぇ力のある劇団を捕まえれば、右往左往しているうちに制作としてなんとかなっているということもあるだろうと思う。 というか、劇団付きの制作で力のある人は多くいて、それに見合った作品を作れる劇団のほうが少ないといったほうがいいかもしれない。 劇団として伸びないとしても、制作に力がないからというケースは割合としてはあんまりないんじゃないかと思う。むしろ、劇団に作品力がないのに、制作力が先行して時期尚早な舞台に立とうとするようなケースの方が多い。 これは、やっぱり作品作りの方が稀有の能力を必要するってことなんだろう。 視点を変えて、劇場制作の場合だとどうなるか? これは非常にシンプルだ。 その劇場が良いポジションをしめられてないようであれば、それは劇場制作に力がないと言っていいと思う。 作品作りについて制作のできることには限界があるが、劇場運営においては、その制約はとても小さい。 機微に触れる話になってくるけども、初期の段階で入った制作は、多少能力が追いつかなくても、それでも居場所を失うようなことはない。 役者やテクニカルスタッフは、その可能性が十分にある。 それで、このテーマについてまとめると「いい劇団さえ捕まえれば、制作は勝ち」っていうのはかなり真理に近い。もちろんそれだけではない。他にもいろいろな要素がある。が、この一点だけで6割くらいの重要性がある。 ■
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by sailitium
| 2014-07-03 13:32
| 制作者のこと
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2014年 06月 16日
fringe watch » 東京の小劇場では、プロデュースとマネジメントの能力が備わっていないと、アーティストとして「評価される場所」まで辿り着けない
に、触発されて。 (リンク先読まなくても、わかるように書いたつもりです。) 全体的には賛成なのだが、「本来であれば、この二つの能力は別々の人間で担われるべきものである。」だけ、ちょっとひっかかった。 (とはいえ、全体の95%には賛同ですから。もう一般的には賛同と言うべき範囲です) 主宰が、脚本/演出で、かつプロデューサーであったって、なんの問題もない。 なんの問題もないは、言い過ぎかもしれない。 主宰が、脚本/演出で、かつプロデューサーであったって、完全縦割りの分業制だって、どっちも一長一短だ。 属人的に考えていくことが重要だ。 一番うまくやれる人がやる方がいい。 だいたい自分の感覚で言うと、制作者よりも主宰者の方が、プロデューサーとしての能力が高いことが多い。 情報収集力、情報整理力、構想力、表現能力と必須となる能力も近い部分がある。 脚本や演出で、すばらしい能力を発揮しながら、さらに政治的な分野にまで関連するほどの経営能力を持つ人もいる。国内の政治トップの側近をつとめたような人もいる。 会社の創業者をみても、そうだと思う。 「製品にしか関心がない。いい製品を作りたいだけ」って人もいるだろう。 しかし、「製品にも関心があるし、これをどうビジネスにつなげるかにも関心がある」って人もいる。 自分が知る限り、前者の人はそんな大成功していない。大成功しているのは後者のタイプだ。 つまり、どっちもありってこと。 現在のメンバーや外部からサポートして貰えそうなメンバーの顔ぶれをみて、一番うまくやれそうなやり方にするのが一番いいってことだ。 「製品にしか関心がない。いい製品を作りたいだけ」って人もいるだろう。 そこで、マネジメント的なところやマーケティングなところで、大きく損をしているようなら、それをサポートするような劇場だってもちろんあっていい。それは素晴らしい活動だ。 別の職能であるというのには賛成。 だから、本来べつの人がやるべきとは思わない。 一人の人間に、両方の才能があるのはよくある。 話は変わるけど、べつの職能であれば、研修方法は異なる。 プロデューサーと制作事務は、まるで職能が異なるから、研修方法は別立てになってたほうがいい。っていうのと同じで。 ちょっとひっかけていただいたおかげで、この辺の考えを整理することができた。 繰り返すけど、まったく賛同ですので。 ■
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by sailitium
| 2014-06-16 13:27
| 制作者のこと
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2014年 05月 19日
京都の大学のアートマネジメント人材育成事業
http://www.k-pac.org/performance/artmanagement2014.html のサイトをみた。 ![]() コ ンセプト、いいなと思った。 冒頭にある 「真に創造的なアートマネジメント人材」の発掘、育成、およびリカレント教育を目的 という目的部分とコンセプトがどうつながるのかが、いろいろ考えたけど力及ばずわからなかった。 そんな人材、1,2年集中教育しても育たないんじゃないかとも思う。 事務力・ノウハウ・知見・教養は教育でなんとかなる。だけど、創造性とか創業精神とかは、こどものころからの10年単位での環境でしかどうにもならないものだと個人的に考えている。 そういうのをこの短期間の企画で育成できるのかなぁと思った。 その辺の人材の育成や教育のプロセスみたいなものがクリアに見えているのだろうか、もしかしたらぼんやりとしか見えてないんじゃないかと個人的に感じた。 というか、世の中にそれがクリアに見えている人なんていないのかもしれない。 それと、真っ先に「真に創造的って、どういうことなんだろう?」とひっかかった。 いったいどれくらい創造的なことを想定しているんだろう? 具体的にあげるとどうなるんだろうか。 抽象的な表現で思考停止してしまっていて、具体的な像やモデルを持ててない可能性もあるのかもしれないなと思った。 とはいえ、第一に「発掘」第二に「育成」なので、「育成」は従であり「発掘」が主ということになるのかもしれない。 しかし、コンセプトはいいと思う。 講座の内容も魅力的。 創造的な人とか、創業精神のある人とかは、だいたい学ぶ前に走り始めているものだ。学んでしまうことで決断力とか行動力とかが落ちる面もあるから、ある意味、教育は逆効果な面もある。 川を飛び越すのが目的なのに、いつのまにかかっこよく飛ぶことに目的がうつっていったりする。その結果、その川は飛びこえられることがない川になってしまう。 アートマネジメント人材の育成を考えるときに、プロデューサー人材と制作事務人材とわけて考える必要があると思う。この2種類は必要とされる資質が全く違う。たいていの育成事業はこれをごっちゃにしている。ごっちゃにしてしまっては、成果を上げにくい。 ごっちゃにしてはないかもしれないけど、前者向けのいい方法は見つかってないだけということなのかもしれない。 ■
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by sailitium
| 2014-05-19 18:00
| 制作者のこと
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2014年 05月 08日
(これだけよんでもわかると思いますが、昨日のブログから続けて読んでもらってもいいかもです。)
ここに才能があると思えば、その才能に経営資源を投資して、活躍してもらうことになる。 その才能を見誤ったら大変だ。 尊敬する制作系の大先輩から「足下を掘れそこに泉湧く」という言葉を聞いた。 地域の演劇シーンを活性化したいと思う自分にとても響いた言葉だ。 この言葉の意図する幹の部分にまったく同感だ。 と同時に、枝葉レベルで注意しないといけないこともあるなと気付いた。 まず、ひとつには掘る場所を間違ってはいけないということ。 まがいものを石を宝石と勘違いして、磨き続けても意味は無い。 泉脈のないところをほっても徒労に終わる。 そこに、泉脈があるかどうかの判断が重要だ。 折れ曲がった針金を2本持って、地中の金属を探し当てるみたいなダウジングのセンスが必要になる。 ダウジングそのものが、ちょっと超常現象的であって、そのセンスを鍛える方法は、基本的にはない。 あえていうならば、いい作品をいいと評価できること、ダメな作品をダメと評価できることだと思う。別の言い方でいえば、ホンモノを見抜く力ともいえる。 この感性を磨いていれば、地中にあるものが珠なのか石なのか判断するセンスは上がるだろう。目の前に見えているものが、珠か石かわからなければ、どうにもならない。 この感性を磨くためには、芝居の感想を書いて人にみてもらうのが一番いい。 その感想は人に批評してもらう必要がある。 時には過ちを認めて修正する必要もある。 そうじゃないと、独善で自分だけが満足できる理論を構築するだけで、応用が効かず社会に貢献するところがない。新規な価値観に対応できない。 (センスがあるひとは、そんなことしなくても先天的にできるわけだが、自分も含め凡人は努力するしかない) 2つ目には、穴を掘り始めた時に、視野狭窄に陥ってはいけないということだ。 これには、他の地域の人とか、他の分野の人とかといろいろ話をするのがいい。 それも、うわっつらのへーへーほーほー的な話ではなくて、つっこんだ議論である必要がある。 いろんな分野の本を読むのもいいが、本を読むとどうしても自分の見識の範囲で解釈してしまって、それを修正する機会がない。 議論であれば、自分の見識の範囲での解釈では及ばないことがあって、そこで自分の考え方の修正が求められ、より効果が高い。 プロデューサーに最も必要な力とはなにか? と言うのはいろいろなところで議論になるが、今の日本の状況でもっとも、一撃必殺的にもっとも重要な事をひとつ上げろと言われたら 「プロデューサーに最も必要なのは作品を評価する力」 であると言っておく。 ちなみに、先天的に出来る人はそこを重要視しないだろう。 おまけ ■
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by sailitium
| 2014-05-08 11:32
| 制作者のこと
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