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福岡・九州地域演劇祭
プロフィール たかさきの簡単プロフィールです。 PINstage たかさきの舞台芸術関係の活動の屋号です。 FPAP 福岡の演劇等舞台芸術を支援するNPO法人です。最近のメインはほとんどココです。 九州地域演劇協議会 九州内の6つの地域演劇支援団体により設立。 FPAP職員の日々之精進 FPAP常勤職員がおくる赤裸々日報。 制作者は語る(fringe) 全国の制作者による注目のブログです。 昨日 今日 トータル にほんブログ村 スパム対策でトラックバックには、送信元記事にこのブログへのリンクが必要になっています。どうかご了承ください 最新のコメント
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2007年 07月 16日
まず、全体的なおおざっぱな感想としては
1 あやうく泣きそうになる位良かった 2 この世代のカンパニーとしては、九州1,2の注目劇団 3 今年観た俺的ベスト芝居にノミネート というところである。みにいってほんとうによかった。 ● 往復経路 バスで天神から佐世保に、約1時間50分くらい。往復で4000円くらい。バス停から歩いて5分くらいで会場に。劇場のロビーでは10周年記念展示で、これまでの公演の衣装や小道具など、映像の展示もあり。 客席にはいると、「座席確保用のチラシ」が用意されていて、記念展示を見るために、これで座席を確保してごゆっくりと展示を見てください。という趣向。これはかなーり気が利いている。 今回の公演は「大ホール(客席数が1000以上とか)舞台上に、客席と舞台を作ってしまう。」という舞台上舞台(小劇場がない地域で、客席数100前後のハコを作るための苦肉の策。思いついた人は頭いいね)。若干横長の印象を受けたけれど、まったく遜色ない。照明が客席に落ちすぎて客席の明るさがやや気になったくらいで(対応できそうな気もするけど)良い雰囲気の劇場になっている。 ● プロローグを劇団サイトから引用する。 (ここから) 貿易港として栄えた都市、シンワン。 世界中の文化が入り交じり、 多くの知識人が、それを求めてやって来た。 その中で発展した『ロン』と呼ばれる義肢技術。 シンワン独自の手法で作られた『ロン』は、 やがて兵器として、その名を世界に記すことになった。 だが、敗戦を境に、破壊のために発展した『ロン』の技術は、 破壊のために傷ついた者を助けることになった。 復興を目指す平和の象徴として…。 『誰も皆 明日を掴む手を求め 歩く夢見る ロン通り十三番地』。 ロン工房が立ち並ぶ『ロン通り』には、 歴史と文化の音が、鳴り響いていた。 (ここまで) ● (以下、ねたバレバレ) 義肢技術士の<コテツ>を中心としたストーリー。10年前の戦争でコテツをかばって、ロン装用者となった<ユカコ>、コテツの妹<ヒナタ>、コテツに軍事用のロン製作を依頼する軍人<ギンヤ>、コテツの助手となるシングルマザーの<テラオカ>を中心に話が進む。 「ロン」は装用するうちに、体に合わせるために、体に占めるロンの割合を少しずつ増やしていく必要があるのだが、その割合が70%を超えると軍部に徴用されるという設定。軍部に徴用される際は、記憶を消すクスリをひとつもらうのだが、それを自分が使うのか、自分のことを忘れて欲しい人につかうのかが、最後のストーリー上の仕掛けとなる。 ● 舞台装置はコテツのロン工房となっていて、全てのシーンはココで進んでいく。紗幕状のパネルが、上手、下手、真ん中奥に設置され、上手、下手は舞台上からハケた役者の待機場所のようになっている。真ん中奥のパネルの奥は、コテツの作業場となっている。 開演の最初のシーンが印象的でかっこいい。 暗めの照明の中、鍛冶が鉄を打つような高く細い複数の金属音がなる。舞台の真ん中に置かれた案山子様の人形から、腕や脚がもぎ取られる。 高く細い金属音は、ロン製作の加工音であることがのちに観客にも分かるのだが、この音は心にしみいるような音で、暗転中などにも効果的に使用される。 この公演では、スタッフワークもおおむね配慮が行き届いていて、照明もかっこいいし、暗転の処理もキレイだし、舞台下手奥に電話があるのだけど、おいている場所からちゃんと音が聞こえるしで、旅公演先でこのクオリティを発揮できることには感心した( ● この芝居の感動の本質となるのは、ストーリー性にあるだろう。 現実の日本の価値観を下敷きにして、たくみに虚構の設定をおりまぜている。そして観客は自然に脚本の世界観にとりこまれていく。そのなかでウェルメイドなプロットが効いて、観客を感動に誘い込む。 たとえば、コテツの妹ヒナタは、亡き父がピアニスト志望であるヒナタのために特別に作ったロンを装用している。しかしながら、ヒナタは父の形見とも言えるロンを「捨てた」という。 それがもとで兄妹はひとつの衝突を迎えるのだが、それは特別に作られたロンにより、自分の才能が認められないというヒナタの複雑な思いからであったことが吐露される。 まずはここでうるっときた。 ここいらあたりの場点のシーンで、大きめの音量の音楽が流れるのだが、この音楽がイメージを増幅させて、体が少し震えた。 クライマックスとでも言うべき最後のストーリー上のしかけは、ユカコが軍部に徴用されるシーンである。ユカコが突然発作で倒れるような場面があり(この演技はかなり秀逸だった。)ここらあたりから、最後の仕掛けへと話が進む。 最後にユカコは軍部に徴用され、コテツはユカコのことを憶えていない。というシーンでこの芝居は終わるのだが、ここがかなり感動的なシーンになっていた。 本来なら、ここで泣いちゃうくらいであるのだが、個人的にその前のテラオカのプロットの所で「嘘」を感じてしまい、そこでちょっと前のめり度が落ちてしまって、泣いちゃうに至らなかった。 テラオカは子どもと二人で、中央(東京を想定?)からシンワン(長崎を想定?)に引っ越してくる。中央で8年の義肢技術士の経歴がある。軍部から無理なスケジュールを言い渡された、職人肌のコテツが、周囲からの説得もあり不承不承助手として雇うことを受け入れる。 芝居の後半の方で、学校の前で残虐な傷害事件が発生したという情報がもたらされるのだが、それがテラオカの子どもであり、医師から全身をロンにするしか方法がないと言い渡される。というシーンがある。 この一連のプロットの中で、テラオカはいたたまれず病室を飛び出し、コテツの工房にくるのだが、ここでユカコに説得され、病室に戻る。最後にはシングルマザーと思われていたテラオカが、中央にいる夫とも話をして、将来について元気を取り戻すというような流れである。 ここで感じてしまった「嘘」は、 1 こどもが傷害事件に巻き込まれてしまったという偶然性 2 病室に戻らないテラオカがユカコにびんたまでされて説得されるところに共感できず、子どもがひどい目に遭っているのにそんな言い方ねーだろうと感じた 3 「全身をロンにするしか方法がない」ということは軍部に徴用されることが確定なわけであり、最後のコテツーユカコの別れに劣らない母子の離別が必然となるわけで、そのわりにはテラオカが結構あっさりと元気になっていたこと である。これで、すこし前のめり度がおちてしまった。 傷害事件が発生して、周囲の断片的な情報からテラオカの子どもなのでは?とおもわせるが、実際はそうではなかった。この件で、テラオカは子どもへの思いを新たにする。というくらいの扱いで良かったと思う。個人的には。 この部分とある親切な方から、医者のセリフは「ロンにするか、このままにするか」で、選択肢がある。という情報をいただきました。 登場人物のセリフで<顔が判別できない位に(被害者はやられている。)>というのがあったので、瀕死の重傷とイメージしてました。で、 「ロンにするか、このままにするか」という医者のセリフ、後者の場合は死(あるいは重大な障害がのこり、ほぼ選択の余地はない)的な流れで解釈、要約し、ブログに書いたような表記になっています。 あとここいらへんから、ちょっとがさつなところもある女性という当初のユカコに感じたキャラクターが、変容していったように感じられて、入り損なったという面もある。 最後のシーンのキャラクターを標準にして、全体のキャラクターを作っていって良かったかなぁと。がさつ系の人は他にもいたし。 ● 地上げしている人が、上手の壁に向かってする演技だけど、前述の通りパネルの奥には、待機している役者がいるので、ここで演劇の方向の対象が、混線して見えた。 ここは上手のパネルの方向には演技しない方が良かったかと。あとはもう思い切って、壁の奥に見えているのは歴代のコテツの作品なんだよという設定にしてしまうか。 まぁ細かいところなので、大勢に影響はないんだけど。 ● この芝居で、鳩がいろいろな意味を込められたモチーフとしてつかわれていて、この芝居の重層性を構築していた。 ● 舞台設定が「鋼の錬金術師」と酷似していることも特徴となるだろう。これをどう評価するかは人によって変わるかもしれない。個人的には面白ければ何でも良いので、個人的にはオッケー。 もう一つの特徴として、演劇のベクトルがきわめて飛ぶ劇場に似ていることがあげられる。ストーリー性の観客との距離の取り方(F's Companyはストーリーで、正面から観客にゆさぶりをかけてくる)がやや違うけれども、日本国内でもっとも飛ぶ劇に近いベクトルをもっているカンパニーと言えるかもしれない。 これをどう評価するかはひとによって変わるかもしれない。 個人的には面白ければ何でも良いので、この方向性の作品は、今後も是非またみたい。 ● アフタートークで、以下のような話があった。 ・この作品はリージョナルシアターのリーディング作品として、まずかかれた。 ・最初、「宇宙人あります」という脚本だった。宇宙人が見つかって、それを街おこしにするという話しで、これはドラマドクターの平田さんに却下された。 ・その後、本作品のような枠組みになって、第1稿を書き、アドバイスをもらって、第2稿が1月12日(15?)にできた。 ・最終的に、完成したのが東京に行く3日前。(東京で一週間ほど練習したとのことで、本番の10日前くらい?この時点で2時間5分の脚本) •東京に行って、1:45に削ってくれとドラマドクターからの言葉があって、がんばって20分短くした 20分短くすると言うのは結果的にこの作品の完成度を高いモノにした可能性が大きいなぁとおもった。通常ワンマンの劇作家は、脚本を削るという過程を踏まずに、散漫な作品を垂れ流しにしているケースがある。ドラマドクターからの天の声だったとしても、削る作業に取り組んだところは、本作品にとっても劇作家としての経験にとってもすごくよかったのではないかと思う。 東京進出の話があったのだけど、現在の東京の地域の小劇場系演劇を受け入れる客層の嗜好性は、ある種の特徴を見せていると思うのだけど、その客層からは受け入れられにくいかなぁとも思う。 福岡の頻観劇層からは、かなり受け入れられると思う。ただ、福岡で大絶賛されてもその次の展開に即繋がるわけではないからなぁ。福岡で存在をアピールする。ということ自体が目的にならざるを得ないのだけど。 福岡都市圏にはF's Companyのような方向性の劇団はないので、できれば熊本のきららのように毎年福岡公演してもらいたいなぁ。 ● 観劇後はちかくの佐世保バーガーを食べた。唐津バーガーと違って、佐世保バーガーってたくさんいろんなお店があることを知ったよ。 帰りのバスの中で、パンフレットを見返す。以下のような詩がパンフに書かれている (パンフより) ----- ふと 涙がこぼれてきた 閉じこめられていたものが ある時 目を覚ました 匂い 音 温もり 痛み そしてまた しずかに目を閉じた 忘れていた 忘れなかった 気がつくと ただ 涙がこぼれていた ----- この詩が、きっとエピローグなんだね。この芝居を観て感動した人が、家に帰ってふとこのパンフを見てみると、一見、離別で終わったコテツーユカコが、遠くない将来そのつながりを思い出す日がやってくる。 とうけとれて、舞台で味わった感動の一歩先の感動を味わえるだろう。 すごい仕掛けだとしか言いようがない。 ●終わりに なんだかんだ好き勝手に「感想」をかいてみたけど、みられて本当に良かった。一観客としても、九州の地域演劇を支援する立場からしても。これは、九州の注目すべき劇団の一つだよ。 (上記の感想は、自分の聞き違いとかで勘違いしているところがあるかもしれません。)
by sailitium
| 2007-07-16 17:02
| 観劇して|感想・批評
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