ナシカ座「泡の流れのように」見てきた。
前売り3,500円 105分。
このカンパニー、ずーと、見に行きたかったのだけど、なかなかタイミングが合わずに、今回が初。
作品はとても良かったんじゃないかと思う。
自分が見た回は、空き席もあったが満席に近く、全8回公演のうち6公演はソウルドアウトになっていたから、お客さんもたくさん入っていたのだとおもう。
受付周りの、ホスピタリティ感もいいかんじで、内輪のお客さんじゃなくて、公演として一般のお客さんの来場を想定した目配りもデキているように感じた。
不明を承知でいうが、事務所系の芝居と思っていた。知り合い系の感想じゃない信頼性の高い感想ブログ(ずいぶん減ったけど)で、酷評だったので、正直な所、演劇的なクオリティには期待していなかった。
作品について、細かいところで気になったことはある*けど、大きなところはなく、全体的にスキのない上演になっていたと思う。
例えばだけど、舞台と客席の間の通路みたいなスペースが、ピカピカの床になっている劇場がチラホラあって、それがそのままになっている上演をよく見る。
客席から見ると、照明の光が、そこにあたって明るくなるので、無意識に集中力が削られるという現象がある。そういうところもちゃんとフォローしていた。
(パンチ貼るとかそういうことなんだけどね)
しばらくみていて、最初は、脚本のご都合主義がすぎるように思えた。
一般に演劇では、ありえない偶然や設定は1回しか起こってはいけないというルールがある(そんなルールはないです。ないですけど、ご都合主義作品と評価されて、文学性の点でクオリティが低い脚本と評価される)。
ストーリーを大雑把に言うと、経営に行き詰まった銭湯。得意客がユーチューバーで、そのPRのおかげで、盛況となって、売却を免れる。というストーリーのハートフルコメディ。
悪い人も出ておらず、ストーリー的にも、悪く言えばありがち、良く言えば王道。
そこには、以下のような偶然が連発する(他にもあったと思う)。
・実は、兄弟でした
・実は、あの人はお父さんでした
・実は、アイドルとつきあってました
・実は、著名ユーチューバーでした
・実は、立ち退きを迫る会社の社長の息子でした
・実は、妊娠中でした
・スタッフが上司の個人情報を、べらべら喋る。
これらは、ありえないことで、自分も前半では、(´Д`)ハァ…って気持ちになっていた。が、これがここまで重なってくると、作者がわかっていて意図してやっている世界観ということだと理解した。それで、脚本上大きな矛盾もないとすれば、これは、すごいことだ。
それで、演劇っていうのは、ベタな展開が案外許されるメディアであるということを認識した。日本の諸ドラマが巧妙化して、ベタな韓国ドラマが逆に日本で受けるという現象があるわけだけど、その韓国ドラマを上回るベタな展開っていうのは、演劇ではあり得るんだということを認識させられた。
(だとしても、脚本の全体的な完成度というのは必要)
そして、最後の、兄弟のやりとりは、この作品の見せ場だったと思うけど、そのシーンは胸に染み入ってくるようで、脚本が構想した全体のメロディの展開が成功していたということだ。
終演後の拍手も、「みんながんばりました!」的な拍手じゃなくて、演劇作品から受けた感動に対する拍手と聞こえた。十分な演劇的な成果を収めた作品だと思う。
(芝居はグダグダだけど、「みんながんばりました!」的な圧倒的な拍手のカーテンコールもあるのだけども、これは拍手のされ方が違う。まぁ、どう違うか?と言われたら説明するのは、難しいけど、まぁ、500本くらいいろいろ見てるひとなら、伝わるかと思う)
以下、点描。
◯
最初は、銭湯のセットで、銭湯が新しく見えることが気になった。経営難なら、当然ボロくあるべきでしょうよ?と。けど、終盤の方で、うまく回収してくれた。他にも、ひっかかっていて「うにゃ?」と思っていたことを回収されることがあり、こういうのがあると、作品への集中が増すよね。
作品を見ながら、気持ちよく回収されるのを見ると、心の中で大きく頷き「お見事でございます」と私は言ってしまう。3,4回くらいあった。
(他にも一例を上げると、芝居と全然絡んでない、上手ツラにでてくるユーチューバーのお姉さんは、一体何なんだ?とか)
◯
出演者も多いけども、出演者多いということはそれに伴って、大変なこともいろいろ増えていくもんで、この人数で、クオリティの高い公演をやっているのは、すごいことだ。
◯
良く言えば王道、悪く言えばありがたいなハートフルコメデイと書いたけど、観客や社会に迎合しているだけではないプロットもあって、私はちょっと感銘を受けた。
現代社会では許されない、とあるポリティカル・コレクトネスにひっかかるような人物がいる設定になっていたのだけど、しかし、そういうところでもちゃんと敬意があり、人が育っていっているというというプロットだった。
社会風潮に対する風刺が、含まれていたことは、この作品の文学的な価値をえらい上げたと思うし、個人的にも(以下省略)
◯
デハケの問題と戦っていたと思う。
演劇では、人は理由がないと舞台に出てこられないし、理由がないと出ていけない。
この役者のデハケの処理は、脚本・演出上とてもむずかしいところだ。
経験がない作家だと、ご都合主義的にトイレに行きたくなったり、電話がかかってきたりして、へいへい出ていく。
こういうのは、脚本上あまり良くないこととされている。
一方、しばらくセリフのない役者が、ずっと舞台にいるのも、あまり良くなくて、今回は、そこで現実的で最適な解がここだったんだろうという回答が見えて、その苦心が私には感じられた。
演劇的な素養の高い人が、演劇と正面から取っ組み合ったうえでの作品と感じられた。
◯
*細かい所の例を挙げると、ラストシーンの方の、アイドルが観客に話しかけるところの、歓声のSEはずっと引っ張ったほうが良い。
◯
今回、見ていて、すげぇ上手いなとか、すごいなと思える役者はいなかった。
いわゆる役者に高負荷をかけている方向性ではなかったと思う。
(踊るとかいろいろ動くとか、大熱量を発するとか、機微な心理を届けるとか)
しかしながら、みんな良かった。スキがなかった。
(もちろん、高負荷のシーンもあるけど、そういうときには、声質をコントロールできてないとかのスキはあった)
全体として、すべての役者がちゃんと必要な仕事を丁寧にこなして、大円団まで持っていった。
ここも、キャスティングとかが非常に計算されて、役者に要求する演技の水準とか、そのバランスも良くて、トータルで言うとスキの少ない作品になったのだと思う。これは、すごいことだ。
◯
情報公開の段階で、上演時間90分の情報を出していて、初日の4日前に上演時間100分のアナウンスを出している。これは、すばらしいことだ。上演時間を初日の数日前に出せるのは、制作的にかなりレベルが高くないとデキないことだ(その点だけ狙うのは別として。他にもチケットの半券部分に料金を明示するとか、細かいことはいろいろある。多すぎて自分も忘れる(笑))。
◯
テクニカル(装置、照明、衣装、音響、小道具)、過不足ない良い仕事だったと思う。
なかでも、テレビカメラをださなくていい構成にしていたのは、とても良かった。テレビカメラ難しいんだよね。下手なものを出すと、ちゃちいし、マジモノを出すとそこだけ異常にリアリティが出て、他の部分とのシズル感にえらい差がでる。
これは、演劇的な素養が相当に高く、熟慮の上での比較考量の上での選択だと思え、まったくすごいと思った。
◯
演劇公演に限らないけど、知り合いが出ているっていうのは、公演を見に行く動機としてすごく強く、また観劇後の満足度にもすごく影響を与える。
お客さんの感想群を評価するときに、そこを見た上で、市民劇としての高い評価、プロフェッショナルの作品としての高い評価ということは、区別しないといけなんだけど、この作品は、プロフェッショナルの作品としての高い評価ということで、オッケーなんじゃないかと思ったね。