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福岡・九州地域演劇祭
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2019年 03月 20日
元号って、いるのかなぁ、、、ってちょっと考えてみた。
元号が変わる。 元号めんどくせぇとかいってる意見をちらちら見る。 元号って制度は、もう日本くらいにしかないらしい。 けど、それって「だから、やめよう」という理由にもなるし、「だから、維持しよう」という理由にもなる。 元号が日本の文化なら維持しといたほうがいいんじゃないかという気がするし、グローバルスタンダートにのって経済性を追うなら廃止したほうが有利という感じがする。 経済性を追うなら、日本語もやめてしまって英語にしたほうが良い。でも、さすがにそれはだれも賛成しないだろうと思う。 元号をどうするかっていうのは、日本の文化のうち何を捨てて何を守るのか、、、その線をどこで引くのかという問題に突き当たるし、避けては通れないのだろう。 元号の存在は日本の歴史・文化と密接につながっている。廃止するにしても、その良さをよく理解した上で、廃止したほうが良さそう。 たとえば、日本がアメリカとか他の国と同じようにグローバリズムで経済的な効率だけを追って、日本語は廃止して英語にしたとする。 経済性で言うなら、そっちのほうがよっぽど効率的だ。 日本語を勉強する時間も削減できる。英語も自然と身につく。ムダなことで、脳の消費カロリーを使わなくてすむ。その分、科学技術の発展とかに脳が消費するカロリーを振り向けることができる。 でも、そうなったら、今の日本とはだいぶ変わっちゃうよね。 このへんのことを考えるのに、必要なことは、、、、 「この地球上に日本が存在する意義はなにか、、、、」ということになるんじゃないかと思う。 ちょっと、話が大きくなりすぎるけども。 それは、 「日本以外の他の国が提供できない価値観・考え方を世界に提供し続けること」 なんじゃないだろうかと思う。そうやって世界に貢献する。 それは、日本だけにできて他の国にはできないことだ。それこそが、地球上に日本が存在する意義なんじゃないだろうか。 ちょっと、話が大きくなりすぎるけども。 大航海時代以降、西欧文明によって、地球上の唯一の文化はだいぶ滅ぼされた。 言語もだいぶ失われた。 使用者が100万人以下の言語は、ほとんどなくなってしまったらしい。 そこに、弱者淘汰の歴史の必然があるのだとしても、その時代をなんとか生き残って1億人の人間が使用する日本語及び日本文化は生き残るべき文化だと自分は思う。 国土や風土は、国民性を形成するらしい。日本が島国じゃなかったりとか、熱帯にあったりしたら、日本人の国民性は今とはだいぶ違うだろう。 日本語で書かれた文学は、地球上でも最高の水準にあって、源氏物語や枕草子を始めとして歴史的に見て世界最高水準の文学を生み出しているらしい。 現代的に見ればノーベル文学賞も、欧米言語以外では、日本文学がそれにつぐ評価を受けている。 それらは、日本の国土・風土や日本語があったからこそ生み出せた作品だろうし、人類の宝という人もいるかも知れない。 もし、日本語が滅びてしまったらこのような人類の宝は失われる。日本語で書かれた作品の良さを正確には評価できる人がいなくなる。 私は演劇クラスタにいるので、そのへんから補足すると、日本語が失われたら、岸田・井上・別役、もっと遡って近松ような戯曲をより正確に理解、立体化できる人もいなくなるということだ。 これは、理系的なことにも影響がある。 医学、数学や物理なんかで、功績を残した人に 「あなたがその成果を残したことと、あなたが日本人であることに関係がありますか?」 と、ぜひ聞いてほしい 一定以上の人は「あります」と答えるだろうと思う(推測)。 日本の風土・文化で日本語を使っているからこそ、他の国ではありえない脳内の一部分のニューロンが発達するということは確実にある。 天才が努力して、かつ、日本の文化の中だからこそ、他の国の文化では到達できないアイディアに到達している部分がある。 文学的な面だけではなく、理系的な面で世界の進歩に貢献するためにも、日本の文化はたいへん貴重なんじゃないだろうか。 それで、元号だけども。 元号は、日本固有の文化である皇室の制度と関連がある。 皇室制度はそれが十分に民主的な制度どうかという議論はたしかに成り立つ。その是非の議論はあるとしても、同時に、皇室制度の象徴である天皇陛下が、エリザベス女王・ローマ法王とならぶ儀礼待遇を受けているということが示すものを忘れることはできない。 (天皇陛下は、アメリカ・フランスの大統領、中国の国家主席よりも上座に座るらしい) だいたい、どんな国家元首も、たいてい天皇陛下にあいたがる。 アメリカ大統領に暴言吐きまくった暴れん坊元首、フィリピンのドゥテルテ大統領も、天皇陛下には神妙に相対していた。 それは「同一性のある制度で、多くの人が支持して、長く続いてきた」ということだけだ。そこに非民主的であったり、経済的に不合理な面が入ってくることも認めないといけない。 しかし、日本人が2000年以上引き継いできた文化や、その象徴である存在は、地球上ではかけがえのない貴重な文化として評価されているということも事実だ。 これは、経済的な価値観に換算することもできるかもしれない。 そして、一度失われた文化は、決して元に戻ることがない。 元号制度は、皇室制度と密接に絡む制度だ。 元号制度がなくなったからといって、ただちに皇室制度が滅ぶとは思わない。皇室制度を成立させていた習わしが数々と変容してきたことも事実だと思う。 なにが根幹なのか。なにを守り続ける限りは滅びないのか。あるいはどこまでは放棄しても大丈夫なのか。そこが難しいところだ。 目先の利便性、少なくともパソコンのプログラムを書き換えるコストがもったいない、みたいなことも要素とカウントしないといけないけれど、それだけで決断するのは、どうなんだろうと思う。 (っていうか、それくらい事前に予想しておけば、簡単に対応できるよね) 日本が、日本の文化を守ることで、経済的には損をする時代があるかもしれない。しかし、日本が、日本の文化を守り、その価値観を維持することで100年後200年後に世界を救うことになるかもしれない。 日本とは何か、日本人とは何か、、、みたいな話がある。1)日本の国土・風土・自然 2)日本の文化 3)日本人のDNA ほかにもいろいろあるけど
by sailitium
| 2019-03-20 12:36
| さくてきな視点で(非演劇)
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