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福岡・九州地域演劇祭
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2018年 05月 09日
「人は、良心によって反省・謝罪できない生き物」この仮説が降ってきた。これが正しいかどうか、脳内ディスカッションしてみた。
謝罪という言葉の定義を、こねくり回しすぎているかもしれないけど。 人が謝罪するのはだいたい以下の場合 1)謝ったほうが得しそうだなというとき(謝らないとやばいことになりそうなとき)。 大企業の社長が不祥事で謝罪している場面がよくあるけど、おそらくその社長は末端の不正なんか知らなかったわけですよ。 関与してないものについて謝ろうと思っても、まず無理だよね。 でも、なんで謝るかというと、その企業が存続するために、罪に服し、罰を受けるという姿勢を見せておいたほうが合理的だと考えるからじゃないか? あとは、周囲からわーわー責めたてられて、自分が悪いんじゃないだろうか、、、という気になって、謝ることはありうる。 この場合、周りから責め立てられなかったら、きっと謝罪してはいない。 周囲の感情を収めるという意味合いが強い。 2)大したこと無いことで、ちょい謝ればすむ場合。 たとえば、うっかり人の肩にあたったとか。こういうシンプルで因果関係が明確に収束するようなものは、謝りやすい。 かる~いことで、ちょっと謝れば、終わるみたいなときは謝りやすいよね。 3)謝る部分を、限定できたとき 「全体としてみれば自分は悪くないが、この部分に限ってみれば悪かったと思える。そこに限っては謝罪していい」 みたいなとき。 この時は、その部分に限っては、こころから全面的に謝っていると思う。 人間の行動には、たいていなんらかの合理的な理由がある。こどものケンカとかでは、まぁ暴力ふるった方も、それなりの理由がある。悪口を言われたから、殴ったみたいなことになる。 悪口を言われたことに対して、ソレくらいの応報があってはじめて原状回復できると思ってやり返す。この時の感情は実際に沸き起こったものだからどうしようもない。 たぶん、殴ったことに対して謝っても、全体としては悪くないだろうと思ってると思う。そのこどもは。 4)相手に同情し、相手の心の傷を癒せるならと思って謝るけども、責任はあんまり感じてないけど謝るケース。 たとえば、親が犯罪を犯したとして、子が親に変わって謝るときとか。これも自分がやったわけではないから、責任は感じにくい。 5)怒っている人がいるから、わけもわからず謝る いわゆる「とりあえず謝る」ケースだよね。 でも、これは1)2)に近いケースで、悪いと思って謝っているわけではない。 6)あとで、考え方が変わった時 7)今回は仕方なかったけど、次から気を付けようと思ったとき。 ーーー 謝罪という行為の本質は、属しているコミュニティや社会のシステムとかに服しますよ。逆らいませんよという恭順を示すようなものなんだろうと思う。 良心から責任を感じて、自発的にかつ全面的に謝罪できるようなケースなんか、あまり無いんじゃないかと思う。 もちろん例外もいろいろあると思うけど、とりあえずは見たことも聞いたこともない。 日本が戦争して負けて、相手国に謝罪したりしたけど、日本にもだいぶ言い分はある。たいていのことで、一方的に悪いなんてことはほぼ無い。 けど、謝罪するってのは、連合国のシステムとかに服しますよ。逆らいませんよという恭順を示すようなものだというなのかなと思う。 犯罪の場合は、犯罪者は捕まらない限り、被害者に謝ったりしない。 まれに、良心の呵責から自首し、罪を償いたいと思って、ちゃんと謝ることがある。この場合の謝罪は、自分のやったことをほぼ全面的に、悪いことであると感じたのだろう。上述した例外に当たるケースだ。 でも、なんというか、そういう行動に至った理由というか背景というかを、よくよく理解してもらえたら、謝る部分を限定して謝ることは、だれにでもできるのかなと思う。 反省・謝罪も、次から同じような場面では違うように振る舞おう。というケースと、あのときああ行動してしまったのは失敗だったという反省はまるで違う。 前者はあまり反省・謝罪ではない。やむを得なかったという立場だ。
by sailitium
| 2018-05-09 12:41
| さくてきな視点で(非演劇)
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