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福岡・九州地域演劇祭
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2014年 02月 06日
やしきたかじんが亡くなったときの往時を振り返ってのエピソードみたいなのをテレビでやっていた。
秋元康がでていた。 秋元康が成功する前に、作詞家になりたいといって、やしきたかじんのところに相談に行って、歌詞をボロクソに言われたエピソードの話をやっていた。 秋元康が自ら、その時のことを語っていた。 ちなみに、やしきたかじんがその時のことをテレビ話していたのを見たことがあって、自分に見る目がなかった(時代を読めなかった)みたいなことを言っていた。 秋元康が語っていたところで、印象深いのは 『ボロクソに言われた後に、やしきたかじんが「俺はそう思うよ」といってくれて、それで自分は救われた。』 というあたりのくだりだ。 ここには、感想や批評を書くときにとても重要なことが含まれていると思う。 「俺はそう思う」といえば、これは「個人的な主観・感想」だ。 つまり、一感想に過ぎない。ということが明確だ。 が、それがなければ、「客観的な不変の事実」という印象の文章になってしまう。 たとえば、以下の3つの例を挙げる。 「つまらない芝居だった」 「つまらない芝居だと思えた」 「個人的に、つまらない芝居だと思った」 上の3つは、受け取られる印象が違う。 ひとつめは、「客観的な事実」として受け止められる。3つ目は「個人的な主観・感想」ということがかなり明白だ。印象はまるで違う。 芝居の感想を書くときとかに、特に気をつけているのだけど。 なるべく、ここははっきり分けて書くようにしている。 よほど自信があって、いろいろな角度から検討してみて、「客観的な事実」と言えると思えば、低調な作品だった。とか書くけど。 普通は、 だと思う。とか、 見えた。とか、 「個人的な主観・感想」として書くようにしている。 (自信があっても、ちゃんと検証できてないときも、検証の時間が取れないときは、そう書くこともある) (ほんとは、ちゃんと吟味して、客観的事実としてかけたほうが、価値は高いと思う。) 芝居の感想を書く人で、ここの違いがなかなか整理がつかなくて、一感想の域なのに、断言をしている文章を散見する。 まれに芯にあたるときは、ホームランが出ていいのだが、空振りしてズドーンとしりもちをつく。ということにもなる。トータルでいえば害悪が多い。 批評的なことをいうときは、できるだけそこを区別することを心がける必要がある。 また、文章というのは厄介なもので、確信レベルが60%とかのことでも、文語になると妙に固くなったり、上から目線のニュアンスになっちゃって、確信レベル120%みたいなふうになってしまう。 あと、論理構造が曖昧でも、「あきらか」「議論以前の問題」とか、連発して、客観的な検証なく、無理な理論を通してしまったりもする。 それは、積み木で塔を作っているみたいなもので、まぁ、たのしいんだよね。無理があるとしても、なんかひとつの論理を打ち立てるのは。 なんで、「思う」の使用頻度が高くても、全体のニュアンスはまた別なので、そこがなかなか難しい。 自省もこめて。 まぁ、断言しない、個人的な主観・感想として書くというのは、ホームランも出にくいんだけども。 主観と客観を分ける習慣があまりない団塊の世代以上の人に多いような印象があるが、若い人にも見られるし、事実はどうだかわからない。 (追記) さんざん言われていると思うけど。団塊の世代の人は、自分と違う意見を理解するのが苦手な人が多い。 もちろん割合の問題だけど。 自分の考えをしっかりもっている人の割合は多いと思う。 (若い人はこの逆の傾向) 人の話を聞けない人が多いから、思い込みとかで間違っているときに、修正が効かない。かなりムリを重ねることになる。 ポジショントークと決めつけるのも多いように思う。 あるいは「今日のところはこのくらいにしておいてやらぁ。」とか言って逃げておいて、別の件で、意趣返しをしてきたりすることになる。 まぁ、逆恨みなんだけど。
by sailitium
| 2014-02-06 14:11
| 劇評・批評について
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