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福岡・九州地域演劇祭
プロフィール たかさきの簡単プロフィールです。 PINstage たかさきの舞台芸術関係の活動の屋号です。 FPAP 福岡の演劇等舞台芸術を支援するNPO法人です。最近のメインはほとんどココです。 九州地域演劇協議会 九州内の6つの地域演劇支援団体により設立。 FPAP職員の日々之精進 FPAP常勤職員がおくる赤裸々日報。 制作者は語る(fringe) 全国の制作者による注目のブログです。 昨日 今日 トータル にほんブログ村 スパム対策でトラックバックには、送信元記事にこのブログへのリンクが必要になっています。どうかご了承ください 最新のコメント
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2024年 12月 02日
2100年、演劇が天下を取り、世界の中心にある時代が来るしかないという結論に達した。その根拠はこうだ。 chatGPTによる要約 2100年、AIとロボットが産業や知的労働を支配し、人々は働かなくても生活できる時代になる。ベーシックインカムで十分暮らせ、少数のエリートが高収入を得る中、多くの人々は働かず、楽しみとしてスポーツや芸術、特に演劇に没頭するようになる。演劇は最も人間らしい活動として、国民の半数が参加し、観賞する文化として広まる。演劇は経済や社会の中心となり、脚本家や演出家は高い尊敬と報酬を得る。 8年前に書いたブログだけど、この見立てについてはほぼ変わっていない。 修正が必要なところとしては、脚本家は危ないということ。AIに仕事を取られる。 たとえば、出演の人数性別を入力すれば、脚本は瞬時に出来るようになる。ストーリーも好みのストーリーを作ってくれる。 (こうなると、人間は楽をシたくなる生き物なので、役者として成長しなくても出来る役ばかり演じるという例ばかりにつながるのかもしれないが。) それで、多くの芸術は危ない。 文芸、絵画、映像(テレビ・映画・動画)なんかは、人間が作ったものを鑑賞しても、AIが作ったものを鑑賞しても、区別がつかなくなる。というか、人間よりAIのほうがいい作品を創るようになる。 いくら作っても、見てくれる人が誰もいなくなる。そうしたら、それを創る人はいなくなっちゃうんじゃないだろうか。 (私の考える芸術の定義は、こういうことなので、それでも続ける人が生み出す作品こそ、芸術だと思いますが。) スポーツをやる人がいなくなることはないだろう。スポーツは、生き残れる。 生き残れるかどうかのポイントは、身体性だ。 そして、身体性を伴った活動に鑑賞する価値があるかどうかという課題が次に発生する。 これは、演劇性といって差し支えないだろう。 (身体性を伴ったパフォーマンスとそれを鑑賞するという関係が成り立つ構造性) プロのスポーツは当然ながら、身体性を伴った活動に鑑賞する価値がある。 将棋や囲碁は、もう人間はパソコンに勝てないが、人間同士が生身の体で駒や石を動かし勝負している様は、鑑賞する価値があるから、テレビでも放送されている。 文芸、絵画、映像は、そこが厳しい。 音楽は、どうなるだろうか。 音楽では、ライブというものがあって、身体性を伴ったパフォーマンスを鑑賞ることに価値がある。ライブは音楽性ではなく、演劇性で成り立っている。 が、いい楽曲はAIに独占されちゃうから、音楽性で売れて、大きなライブをやれるようなバンドは出てこなくなるのかもしれない。 ローカルタレントみたいな分野は、演劇性重視なので、生き残っていけそうだ。(握手会は、演劇性はないが、身体性そのもの) 音楽について言うと、音楽だけではおそらく生き残れなさそうだ。 演劇の場合は、そういった意味で、以前に書いたブログの通り、生き残れる。 脚本家は上で書いたとおり厳しいが、演出家はより重宝される存在になる。役者間の調整をどうするかとか、テクニカルをどうするかみたいなことを決定する。 ものすごく儲かる仕事になってる可能性もある 舞踏系のものも生き残れる。バレエなんか、立ち姿とか平素からの所作がきれいになる効果もあるから、今以上に分野GDPは増えるかもしれない。 ダンスで演出家の仕事と言えば、振り付けの仕事が近いような気がするが、振り付けの仕事がどうなるかはわからない。AiIに奪われる可能性はある。 (振り付けを、映像化して、このとおり踊りなさいというやり方で) #
by sailitium
| 2024-12-02 12:34
| 制作的なこと(演劇)
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2024年 11月 27日
風三等星「バンク・バン・レッスン」みてきた。 期待を裏切らない、三等星らしい本格的な演劇公演だった。 正統派の役者の演技に、高橋いさをの脚本が相まって、ほとんどすべてのお客さんが、芝居を楽しんで帰っていったと思う。 役者がよかったよね。明瞭な発声で「聞こえる」ではなく、「届く」を実現していた。 個人的には、支店長、娘、息子、弟分が、特に良かったなぁと思う。またプロデュース公演とかすることがあったら、出演をオファーしてみたくなるレベルだった。 あと、今回特にすごいと思ったのは、演出の仕事の痕跡をほとんど感じさせなかったこと。照明の変化や音の効果を使用する場面が少しあったが、それを除いた役者周りでは、役者と脚本が一体化していたように見えた。 これは、かなりすごいことなんだけど、どうしてすごいのかというと。 (以下、解説) 「ここ、演出だな」と思えるってことは、基本的に、役者の身体が脚本を消化しきれなくて、違和感を感じさせるような部分があるから。だから、それに気づける。 それがないってことは、役者さんの個々の演技や関係性が、脚本をきれいに消化しているってことだけど、それには交通整理と言うか、指揮者である演出家が、しっかりした仕事をして、役者がそれを身体に落としている必要がある。 (ストーリー性やドラマ性がはっきりしている芝居の場合の話です) ) (解説終わり) そして、パネルを使って、ちゃんと装置を立てていたけど、一幕もの装置の基本だよね。こういうのをちゃんとやってくれているのもうれしい。 (最近はできなくなっているところが多いそれでも2,500円とかしちゃう、、、)。 テクニカルの仕事も、バランスの良いクオリティを達成していたようにみえる。どっかの部署にあからさまな穴があったりとかいうことが無かった。 それで、いろいろ書いたたけども、それよりもさらにすごくて、驚くべきことは、この作品をチケット代1,500円でやっていることだ。 演劇を図るのに経済的な指標を用いたくはないが、このチケット代で、このボリュームとクオリティを備えた公演はそうそう無い。 その点で言うと、九州No.1の劇団だといっていいと思う。 (自分が知らないだけで、同じくらいのことやってる団体があるかもしれない) (作品の方向性への好き嫌いは、別ですよ。) チケット代が、2,500円とかになっちゃうと、もう会員制のバーみたいになるので、基本的にお客さんが増えていくことはない。 私も、劇団活動していたときは、チケット代の相場は前売1,500円だった。それで、動員300人くらいの劇団はゴロゴロあった。ってか、普通だった。私は、2つの劇団の旗揚げから関わって、どちらも動員500を達成したけど、それはチケット代が、今ほど高くなかったということが大きい。 旗揚げで2,500円とかだったら、動員100人も難しかっただろう。動員300人の可能性をすてて、2,500円で100人の規模を選ぶのも選択肢の一つだと思うけど、それは、演劇村の狭い思考のように思える。より多くの人が気軽に劇場に足を運びたくなる環境を提供してほしいなと思う。 そこから、歳月は過ぎたが、自分が予算の責任を持つ公演では、チケット代はなるべく前売1,500円になるようにしている。 とは言え、2,500円とかになっている劇団の収支についても、大体のところはわかる。それで儲かっているとか言うことは、ほとんど無いと思う。 (アイドルメインの芝居は、収支構造が、小劇場系の劇団とは変わってくるのでどうだか知りません) それで、話は戻るけど、旗揚げから35年やってて、この規模とクオリティで、かつ1,500円というのはまったくすごい 表彰されれば、いいと思うね。 この劇団が、今後もこんな感じの活動を続けてほしいなと思う。 それで、「地元の劇団の芝居ってどんなんだろう?」みたいに思った人が、最初に足を運ぶ劇団になってほしいね。 やっぱ、1,500と2,500の違いはかなり大きい。福岡で、観劇という趣味を持つとして、その入り口となる劇団になってほしいと思う。 それで、既成の脚本だから、脚本のことを言ってもあれなんだけども、バンクバンレッスンって、これまで2度は見たことあると思う。 けど、終わり方が、物足りなかった。昔と比べて、自分の見方が変わってきたのだろう。 あれで行くなら、支店長の拳銃は、演劇的な大飛躍を遂げて、なぜか、本当に発泡して、息子はまじで血を吐くとかで、虚構と現実がお客さんの中でも、わけわからなくなるような終わり方が、あの脚本の行き着くべきところだったんじゃないかと思う。 (一個人の一感想です) しかし、そんな個人の一感想ははどうでもいい。風三等星が公演をやってくれたのが本当にうれしい。福岡の演劇シーンがやっとコロナ禍から、脱出したという感じがする。 個人的な見方かもしれないけど、今回の公演で復活を喜ぶ声で、福岡の演劇シーンが沸いていたように見えた。 #
by sailitium
| 2024-11-27 12:33
| 観劇して|感想・批評
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2024年 11月 04日
人数が多かったり、脚本が改定されたりする場合に、最新の脚本を関係者に正確に持ってもらうのはけっこう難しい。
常に稽古に全員が参加しているなら楽だ。 新しい脚本をページごとに机において、みんなでチラシを折込のようにとっていけばいい。 脚本に変更があって、たとえば、28ページだけ差し替えします。ってときも、みんなそろっているから、みんなの前で説明して、とっていけばいい。 しかし、実際は、そんな稽古はないだろう。 関係者が少なかったり、脚本の改訂がほとんどないとか、ページ数が少ないとかなら結構楽だ。 が、そうでない場合、脚本の配布がそもそもけっこうな時間を取るし、改訂がある場合は、改定された脚本がちゃんと展開されてなくて、稽古でちょっとした混乱が合ったりすることは予想に固くない。 それで、こういうやり方を思いついた。↓ 封筒は、普通のA4がはいる封筒でも良い。 テクニカルスタッフも含めて、全関係者分を用意しておく。 (最初に、全関係者分を用意しておくことが重要。名前を書いていない予備封筒でもよい。) こうして、追加・改訂された脚本だけを、封筒に入れておく。 この作業は、人での多い稽古場でやってもいい。 大切なことは、新しく、追加・改訂されたページは封筒の奥から入れるということだ。 封筒の手前にあるほど、古い脚本であることがわかる。 (逆でもいいけどね) あとは、ノンブル(ページ数)の打ち方も重要だ。 シーン数、ページ数、脚本のバージョン数が、全部入っているのがベストだ。 ページ数は、脚本の全ページで通しのページ数が入っていてほしい。シーンでページカウントがリセットされると、今全体の何分の何くらいのところなのか体感的にわかりにくくなってしまう。 (おまけ) ・左下にシーン数 真ん中にページ数 右下にバージョンとかベストだ。これは、Wordの標準機能でできる。 ・シーン数は、セクション機能とか使わないとページごと対応になるので、ちょっとめんどくさくなりますね。あとは、シーン数が増えたり減ったりしたら、目も当てられないから、シーン数は諦めたほうがいいかも。 ・あと、改訂で、28ページが紙1枚で収まらないとなったときは、枝番28-1,28-2とかでやっていくしかない。全部で30ページしか配ってないときなら、おしりの方を全部変えてしまえばいいけど。 #
by sailitium
| 2024-11-04 07:37
| 制作的なこと(演劇)
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2024年 10月 21日
金魚も夢を見る。見てきた。85分。当日2,500円。会場は、Art space tetra。キャパ30人くらい? 部屋呑みしている20代の女性3名の会話を眺める感じの作品 衣装、装置、小道具などがいろいろ仕事をしていて、舞台空間の魅力を増している。 ミラーボールやプロジェクターの使用もあった。 照明が暗くて(というか、舞台前方のところのあたりが取れてなくて)表情がよく見えなかったのは残念。これは、この作品の唯一の手落ちしていた部分と言えるだろう。 というのは、おそらく、こういう作品を作りたいなという方向性があって、それはほぼ完成度高く、作られていたように見えたから。 舞台と客席の境目が曖昧な作り、役者が舞台に入ってきたり、客席通路にテープを引いてその上を歩くなど、実験的な演出が興味を引いた。 脚本としては、モラトリアム・自分探し的な内容になると思う。3人の会話が中心となるが、ドラマ性は控え目な展開。 金魚やカブトムシといったモチーフを頼りに、時間は流れていくが、個人的にドラマ的な盛り上がりがない85分はきつかった。ある種のシンパシーを持ってみるという精神的な作法が必要な作品だっただろうと思う。 投げ出されたものを投げ出されたまま、感覚をメインに受け止めるというのは、見る人を選ぶ。 2回くらい、アブストラクトな演出が入るとか、見終わったあとにある程度手応えのある解釈がもてるようなヒントはやっぱりほしい。それがあったとしても、邪魔にはならないだろうと思う。 会場を出るくらいで「どなたかのお知り合いですか?」的なことを聞かれた。「ただの観劇マニアです」と答えた。 #
by sailitium
| 2024-10-21 12:27
| 観劇して|感想・批評
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2024年 09月 26日
北池袋 新生館シアター 2,500円、45分、素舞台。出演者4人。 3人の誘拐犯が人質(令嬢)と一緒にコンテナに閉じ込められている。というワンシチュエーション作品。 クレーンに吊られているようで、バランスが悪く、誰かが動くとグラグラ動いて、命の危険がありそうという設定。誘拐犯と人質の会話は、誘拐劇の進行をなぞるものが中心。 (誘拐犯の段取りが悪く、令嬢がむしろ手助けすることによって、誘拐が成り立ったことなどがお客さんに伝わる。) 衣装替えなどはない、照明と音響はシンプルな仕事で、特に凝ったことはしていない(この作品では、凝ったものは必要としてないと思う)。 以上のことから、小品である。小品ではあるが、フィジカルを重視した作品の作り、ぼそぼそしゃべる感じの作品ではなく明朗に大きな声での発語など、パワーを感じさせる作品だった。 (最前列で見ていたら、逆に重くてきつかったと思うけど) コンテナからいかに脱出するのかということが、ストーリーの主たる目的にもなっている。最後に脱出できたかどうかはわからないが、ワルツのダンスで終わるシーンは好きだった。 集団や作者の世界観や心象風景が、描かれた作品なんだろうと思う。普通に解釈すれば、彼らのような年代が社会に依る閉塞感みたいな(中略)ことが、推測でき、この作品を通じて、社会の一部を見ることができたようで、個人的には、満足。 ・出演者が舞台衣装まま受付しているのとかは、ありえないとおもうのだが、、、 ・この設えで2,500円ってなると、やっぱ高いよなぁ、、、。自分が見る分にはいいけど、責任を持ってヒトにすすめるのは難しい(ここ、おもいしろいから一緒に見に行こう)とかね。 ・ちなみに私の考えるチケット代の基準については、https://sakuteki.exblog.jp/30302105/ 参照で #
by sailitium
| 2024-09-26 12:35
| 観劇して|感想・批評
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