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福岡・九州地域演劇祭
プロフィール たかさきの簡単プロフィールです。 PINstage たかさきの舞台芸術関係の活動の屋号です。 FPAP 福岡の演劇等舞台芸術を支援するNPO法人です。最近のメインはほとんどココです。 九州地域演劇協議会 九州内の6つの地域演劇支援団体により設立。 FPAP職員の日々之精進 FPAP常勤職員がおくる赤裸々日報。 制作者は語る(fringe) 全国の制作者による注目のブログです。 昨日 今日 トータル にほんブログ村 スパム対策でトラックバックには、送信元記事にこのブログへのリンクが必要になっています。どうかご了承ください 最新のコメント
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2025年 11月 10日
昔とある著名な公共劇場の館長さんが 「演劇ワークショップは誰でもできる。しかし、参加者に感動して帰ってもらうことは、優れたアーティストにしかできない」って事を言っていた。(うろ覚え) その通りだなと思うし、その意味が何となく分かる。 対象を見据えて、起承転結なりの組み立てを考えるとか、人の心を動かすためのなんらかの仕組みを考えるからだろう。 持って帰ってもらうものを想定して、そのための設計図を作り、丁寧に実行するということだ。 優れたアーティストといっても、人を感動させよう(心を動かそう)と思ってない(ように見える)人もいる。それはこの格言の例外だろう。 #
by sailitium
| 2025-11-10 12:34
| 制作的なこと(演劇)
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2025年 10月 21日
南市民センターで地区大会見てきた。 福岡の地区大会、みるのかなり久しぶりだと思う。 創作脚本のわりあいがめちゃくちゃ増えていた。以前は既成脚本のほうが多かった。 ーーーーーーーー みた3作品の感想 ーーーーーーーー ○ 大濠 ・高校生の心象、高校生活の風景を描写した佳作(佳い作品)という印象。 ・最初客席から出るのは、あれは、古い演出だからやめたほうがいいと思うけどなぁ、、、、やるなら助っ人を募って、20人くらいでやらないと、、、 ・装置いい感じ ・ドラマ的には、あの五人の部員の関係性がもうちょっと揉まれてほしいよね。もうちょっと何かが解消する感がほしい。主役の子とすぐ帰っちゃう子を軸にするしかないが。でもやりすぎないようなところで。 ・高校演劇の地区大会での照明は、劇場任せになりやすい。エリアを切っていた効果は、ベテラン講師だったら意図して指示するかもだけど、高校生でそこまで幅広い知識を持つのは難しい。装置を見て、照明を工夫した劇場スタッフの功績の可能性が高い。知らんけど。 ・あの演劇部の周りの生徒の存在がほとんど見えない。そこ見えると、ちょっと作品に厚みが増すんだよね。最初の20人出れば解決するけど、あとはBGMで、他部活の音流すとかかなぁ、、、やりすぎない範囲で。 ○ 西南 ・船のロビーみたいなところが舞台。二人の会話シーンが4回(全8人)。ほぼ座っての会話。4組は独立していて接点がない。10分の二人芝居を4本見るくらいのかんじ。潔いくらい淡々とした作品。 ・会話の内容は、将来何になるかとか、自分探しであったり。このへんは大濠と共通。 ・講評で、話がつながらなくてもいいから。と言ったのは、慧眼ないし、よっぽどの自信だと思う、潔さを評価してのことだろう。が、やはり、ドラマ的にはすなおに話をつなげたほうがいい。 ・シュンが各パートに、ちょっと顔出して、最後の絵かきには深く関わる。絵かきはもうちょっとなにかもっておいたほうがいいかな。ドラマ的には。 ・シュンの正体がわかるところがオチになるけど、あれは4組の会話の中で、少し伏線を貼っときたいよね。ドラマ的にはだけど。 ・時間の経過が早すぎるという違和感がある。あれはパートとパートの入れ替わりのときに、汽笛を一発いれておけばいい。朝なら鳥の声とか? 役者が喋らない時間を30秒くらい入れて、その間に、適切なSEがあれば、時間が省略されたことを、お客さんに染み入れることができる。 ○ クラーク ・主役の二人が、ずっと手をつなぎ続けて演技を続けて、最後に手をはなすという演出(ワンアイディア)がすごい。あれは、演劇でしかできない痛烈な一撃。実に素晴らしいね。このパワーがすべてを制した。かんじ。まさに誓約と制約。 ・オズの魔法使い的な展開。黒い傘を使った演出は四季のウィキッドを想起した。 ・脚本が主張したいことは、よくわからなかった。恋愛、友情、青春ドラマとしてみればいいのかな。 ・身体性に重きをおいた作品で、みていて気持ちがいい。演出が見せたかった部分だろうと思う。 ・各種の見立て、平均台、プロジェクタ、照明、マスゲームの演出も特徴。ああいうのは演劇経験が10年以上ないとできない。ベテラン講師がいる強み。 ・脚本では、イデオロギー、思考実験の提示の面があり、興味深い。ただ、演劇は一方的に主張されるのを聞くしかないから、そこには反論できないストレスがある。 (言語は?棒と縄は、身体外 とかね。) ・最初の字幕は、安部公房が言った。で終わったほうが良かった。その後の照れ隠しみたいなのは蛇足 ・手をつなぎ続ける二人が最後に手を離すと最初に説明しちゃうのも、ない方がいいと思った。ドラマ的には。そしたら、最後、手を離すの?離さないの?ってドキドキできたのに。 ・最後、線路飛び込むのは、取ってつけた感。必然性なさそう。踏切を眺めるだけでもお客さんはかってに「えっ、死んじゃうの?」って思ってくれる。 ・地名(駅名、糸島)は出さないほうがいい。その地名にイメージを持てる人、持てない人で、作品の受け取り方が変わってしまう。その地域の人に向けた作品という感じが強くなり作品の普遍性を下げる。 (例えば、福岡の人が地理的に詳しくない新潟・仙台とかで、まちなかから海がある駅の地名に差し替えてみたらどうなるかイメージするとわかりやすい) (ただ、東京の地名だと、新宿とか渋谷っていえば、日本人がある程度、等しく持てるイメージがあるから、それは問題にならない。一極集中で、嫌だが) ・しかし、いろいろ書いたけど、細かいことに過ぎない。手をつなぎ続ける二人が最後に手を離すのパワーが勝ったね。ブラボーでした。 ーーーー 以上、作品の感想、終わり ーーーー 去年の12月に沖縄に九州大会を見に行って、先週、福岡の地区大会を見にいった。 それで、なんとなくの印象というか思ったことといえば 「夢・自分らしさ・やりたいこと」という言葉が、不幸な中高生を増やしているということだ。 これは、大人が中高生あたりを思い通りに操ろうとするために使っている言葉くらいに理解したほうがいい。 夢・自分らしさ・やりたいこと が絶対の正義であり真理であると洗脳されている人が多いようだ。 既にそれをもっている人は幸いだ。それを目標にして頑張ることは、まったく素晴らしいことだ。 しかし、中高生で、それをもっていないとしよう なんの問題もないね。 見つけようと努力する必要もない。 だいたい人間って、なにをやりたいかとか、なにになりたいかといか、そういうのどうでもいいんだよね。 むしろ、なにができるかということのほうが重要。 多分、世の中の大人の大半は本音ベースではそう思ってると思うよ。 自分ができることで、社会のために役立つ、人のためになる、まわりを笑顔にする。 そうしたら、あとはなんでもいいんだよ。 やりたいこととかは、どうでもいい。やれることで、周りの役に立てばいい。 この場合の周りの役に立つというのは、大抵のばあいは、働いて対価を得ることを指す。 世の中にある仕事というのは、その仕事があるから誰かが助かっているものばかりだ。誰かがやらないと困る。 だから、報酬がもらえる。 専業主婦を仕事というかどうかはさておき、周りの役に立っていることは間違いない。 そして、子供ができたら、いまやそれは、最大の社会貢献。 言うまでもなく、努力は重要。 勉強するとか、教養を高めるとか、体を鍛えるとかいうのは、その人ができることの幅を広げる。 より多くの人を幸せにすることにつながる。 学校の勉強とか、ほんとはやらなくていいんだけど、教育業界のたくらみがうまくいって、みんなが囚人のジレンマの中で、必要ない勉強で人生を教育業界に搾取される構造が成立してしまっている。 そして、目標があったほうが、努力できるのは間違いない。 だから、大人は、夢・目標を持て、みたいに言うのだろうけど、それも人による。 何がやりたいか、何ができるのかわからないけど、大人になったときに、自分の周りの人の役に立つために、今は、自分の能力を磨く。 って、ことでなんの問題もない。 正直なところ、今、世の中で働いている人で、夢・自分らしさ・やりたいこと でなんとかなったひとなんか1割もいないよ。9割は、自分がやれることで、社会(=周りの人達)の役に立っている。 そして、それでなんの問題もない。 自分ができること、自分が得意そうなことで、周りの人を幸せにする。社会の役に立つ。それで十分。 やりたいことなんかなくていい。 だいたい、やりたいことって、将来やりたいことみたいに主に「職業」を指すよね。実際に働いてみもしないで、イメージと印象だけで、やりたいことを見つけろっていうのが無理がある。 仕事も会社も職業も実際にやってみないとわかんないよ。 写真だけ見て結婚相手を決めろと言ってるみたいなもんだね。 そんなわけで、中高でやりたいことを見つけろというのが、無理ゲー。 誰しも思いつきそうな、目標を無理に見つけさせられることになる。 そんなのはいらない。自分がやれそうなことを見つけておくくらいでいい。やれそうなことを見つけるためには、バイトするのが一番の早道。 それと、自分らしさとか言うけど、中高生で自分らしさとか必要ないからね。それをたまたま見つけられたらラッキーくらいで良い。だいたい消費にしか従事してなくて、生産を経験してなくて、自分らしさとかいいだしたら、カスハラの人ばかりになってしまう。 自分らしさとかどうでもいい。無理せず、周りに合わせて生きていけばいい。そして、どうしても合わせられないことがあって、それが単なる逃げでないなら、それこそが自分らしさ。 とにかく、いろいろ一生懸命やって、気づいたら身についているもの。それが、その人らしさなんだと思う。見つけるものというより、気づいたら身についてみるもの。 なんか、オズの魔法使いみたいになったね。 とにかく、洗脳から逃れてほしいね。 そして、努力は重要。学校の勉強がいいところは、努力したら、したぶん確実に結果につながるってこと。体を鍛えるのも同じ。 それ以外のたいていのことは、努力すれば成功するとはならない。成功する可能性が高まるだけで。 あっ、夢とか、そういうのを持っているのが悪いとは、一言も言ってないので念のため。 #
by sailitium
| 2025-10-21 12:33
| 観劇して|感想・批評
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2025年 10月 17日
unitでたまく第六幕「あるいは、湯気の交差点」みてきた。その感想。 とある場所に、集った人々。その一人である小説家が、試行錯誤しながらも小説を書きあげる。最後に、その場所は取り壊しになる。その場所をみんなで眺める。 みたいな話。 最初は、不条理演劇かと思えるような始まり。話も全く見えない。 脚本のドラマ性という観点でいうと、中継地点・目的地の設定がなく書かれた作品のように見えた。 最終的な絵(建物が取り壊される)はあったと思うのだけども、その絵が観客に共有されカタルシスが起こるようなつくりにはなっていない。 ちょっとだけポストドラマ演劇に寄せたってかんじなのかな。 話題や会話はあるけども、関心を引けるような内容を忌避している。さらには、それらが積み重なったり、大きなうねりとして、観客の心を動かすことを狙っていない構造だったと思う。 なんで、普通に見ていたら、ドラマ性がなくて、退屈な芝居になると思われる。脚本がそこを指向していないのだから、受け入れるしかない。 「あるいは、湯気の交差点」というタイトルは、以下のように解釈できる。 これといって、なにも起こらない作品です、あえて言うとすれば、あるいは、湯気のような淡いものが、いくぶんか混じり合うような風景とでも言えるでしょうか。 作品を見たときに、失敗作なんじゃないかと思ったのだが、上のような解釈の補助線を引くことで、作品のタイトルは内容にはマッチしていると考えることができる。おそらくは失敗作ではない。狙った通りの方向性なのだろう。 それをみて、「面白い、またいこう」と思うか、「もういいかな」と思うかは、受け取り手次第だ。あたり前のことだけど。 脚本の動機として推測できる部分があるのだが、残念ながら、私の眼力では、作品のコアの部分を捉えることができなかった。 破天荒タイプの役もある。まともな人タイプの役もあった。役者は、脚本に書かれた役をちゃんとやってたように思う。 からのはしご観劇。どっちも尺(公演時間の長さ)がでていて、ありがたい。 #
by sailitium
| 2025-10-17 12:40
| 観劇して|感想・批評
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2025年 10月 15日
◯すごいなと思ったところ ・Twitter感想は、作品を評価するものがとても多い。その点、いい芝居だったという評価でいいのかなと思う。 感想まとめ ・最近はなかなか見なくなった社会問題的なところに、正面から向き合おうという姿勢のある作品で、その志は、高く評価されるべきだと思う。部分部分で、リアリティのある上質な演技もあり、この点で評価するtwitter感想が多いのかなと思う。 ・装置がかっこいい。 平台をうまくつかって、リアリティのある装置に見えた。あれはうまい。箱馬の上に棚を置いているのだけど、箱馬と調和していて、あれもすごかった。 舞台ツラ面が斜めになっていなかったら、効いてなかったかもしれない。そこも、計算済みだろう。 パイプは前面もいるのかなぁと思った。視界を阻害しているだけで、演劇的な成果があったのかなぁ、、、 ーーーーーーーーーーーー 個人的には、クオリティという面で、以下のところは書き残しておきたい。3,000−3,500という設定であれば、クリアして欲しい。 ーーーーーーーーーーーー ◯ 全体的にシリアス調で作りたいのか、コメディ調で作りたいのかを絞れてないのは影響があったと思う。 シリアス調ではリアリティが重視される。コメディ調ならデフォルメが許されるし、その中で、本質を届けられれば良い。これがどっちもあったのは、作品のクオリティに影響しているなと思う。 ◯ スタートが、リアリティのある演技。重くじめじめした密室の圧迫感を会場内に充満させた。なので、そのあとにでてくるデフォルメの演技にはアウェーになってたように思えた。冒頭のリアリティの高さに対して、リアリティの度合いに差があり、作風の不統一は感じた。 役者の演技の方向性が、ばらけていた。 役者の演技の方向性については、以下でブログで書いたところだけども、これはある程度合ってないといけない。 ◯ 役者の技量には差があったように思えたが、その中で、役者は脚本や演出のオファーにはしっかり答えていたのではないかと思った。 ◯ 理不尽な抑圧を受けて、それにたいして言い返せなかったなどの経験のある人の心は打つ感じがする。そこが救済になると思うのだけど、自分に反省する点はないのか?とは思う。冒頭に刺激的なシーンがあったので、あれで感覚が麻痺する感じはあると思うのだけど。私は、そのシーンは縦の見切れの影響で見えなかった。 ◯ ・ああいう方向性の芝居だと、設定や会話の矛盾みたいなものがあったときにどうしても、私はそこで疑義を感じてしまって、距離ができてしまう、、、 ・澄川さんが、最初、重病人のようだ。あそこまでだったら、精神病と日野も認知してしまう。あそこまでは、きつくあたれない。最初は、重病人だったのに、その後に状況に合わせてノーマルにふるまうのはおかしい。これは演出の問題と思う。 ・演出、脚本の問題と思うけど、あの日に日野が澄川にあそこまでねちねちいうかなぁ。ストレスが積み重なってブチギレたらあそこまで言うかもしれないけど、あそこまでねちねち言うのが日常だったら、とっくに破局していると思う、、、 ・お茶をついだりするときに、日頃から、日野にあんな風に言われてたら、自ら進んでお茶を入れたりするはずないと思う。今日、はじめて言われたの?そんなわけないよね、、、 以前もおなじようなことを言われていたはずだよね?しかし、なぜ、お茶や氷を入れようとする? ・これを言ったらあれだけど、澄川さん、ちょっと散歩に行って、その時にビール買っていれば、良かったって話だよね。冒頭の重病感だったら買いに行けないと思うけど、日野さんを拘束したりとか、玄関に立ち塞がったりとかの動きを見ていたら、散歩・ビールは行けたでしょうよと思う。 ・作戦会議の時は、議論劇みたいになるんだけど、そこで議論が変な方向にいって、日野の無理な意見が、ふつうにとおっていくのはひっかかる。ほとぼりが冷めて脱出するでいいじゃん、などなど。変な論理が勝ってそっちの方にストーリーが進むと、脚本のクオリティには影響がでてしまう。 ・出入国管理官が入ってきたり、出ていったり、捕まえようとしたり、見逃そうとしてくれたりの行動は、動機というか背景が見えず、整理できてないように見えた。リアリティがないというか、これが、全体がコメディ調なら、いけたとは思う。 ◯ 上述のところの矛盾は、この作品の背骨になる部分だと思う。重要な部分ではないと言う意見もあるかと思う(だとしたらその理由は聞きたいが)。 ◯ 以下は、作品の根幹にとっては重要ではない部分。流せる部分。 ・澄川さんの隣にセマイさんが住んでいたとのことだけども、家賃はどれくらいのところなのか?(マンションの5階らしい) 澄川さんと日野さんは、同棲してた?それとも、たまに家にやってくる恋人? 日野さんは、プロジェクトとか言っているし、お二人ともそこそこの会社に勤めていて、中流程度の収入があり、それにみあったところに住んでいるとするなら、同じマンションにセマイさんが住めるの?と思う。 ・日野さんの、澄川さんを追い詰める言葉や暴力はほんとにひどいものだった。 おそらく、澄川さんが体調不良になって、おそらく精神科には通ってなくて、心療内科に通う程度で、澄川さんのことを心配して、「散歩くらい行こう」みたいに本人のためを思って言っていて、でもスルーされた不満はあるのだろうと思う。が、その不作為が1週間くらいのことだったら、あそこまで難詰するとは考えにくい。すくなくとも1か月は、言うことがスルーされ続けたんだろうなと思う。 もし、そこが見える形になっているとしたら、日野・澄川の見え方もだいぶ変わるだろうなと思う。 ・髪の長い部下役の男性だけど、ああいう仕事していてあんな風貌の人とかいることはまずないと思う。そうなると、そこにある種の意味合いが発生する。そこに演劇的な必然性があればわかるのだけど、それはなかった。そしたら違和感だけで終わってしまう。 ・出入国管理館の衣装があってない。スーツに着られているみたいなかんじで、これはリアリティを重視するならクリアしてほしい。本番前に期間をかけてしっかりと着こんで、ある程度体になじませてほしい。コメディ調なら、まぁ、スルーされる。 (以下、見終わって、時間をおいて気づいたこと。だから、作品の評価には影響しない。演劇というのは、基本的に、1回性のものであり、1回見ただけでわからないことの優先度は高くない。ただ、どこに気づくかは人による。) ○ セマイ、澄川、小谷の3人で話しているシーンだけ見れば、演技の方向性は許容内に収まっているように思えた。 ○ これは、個人的な好き嫌いだけど、澄川さんとセマイさんは配役が逆でも面白かったかも。 ◯ 日野が澄川に結婚しようとか、言うかなぁ、、、 指輪も準備してたけど、あんなかんじで叩いたりするかなぁ、、、 日野さん、サイコパスとすれば、あるかもだけど。 〇 セマイさんの過去のシーンいるかなぁ、、、 うー、これは、個人の好き嫌いの範囲か、、、 ○ セマイさん、戸籍買うの拒否るかなぁあ、、、命がかかってるんだっけ?(そこまではなかったんだっけ?) あのタイミングで、戸籍買うエピソードがぶっこまれたのは、個人的には、よかった。 〇 なぜセマイさんは日本がしゃべれるのか?政治的迫害を受けたのが事実として、なぜ難民判定ハードルが高い日本に来たのか?(難民で海外に行こうという人は、そういうところは知っていて当然のような) →セマイさんの国で、日本人医師の多いところで看護師として働いていたから、いつの間にか覚えたってことでいいか。前半と比べて後半は日本語の疎通が良好になるけど、これは演劇の特性上問題ない。いつまでもつっかえていたら、テンポが悪くなりすぎる。 みたかんじ、スムースにやり取りしてるけども、ある種のデフォルメが入っていると解すれば良い。 〇 思うに、演出上の問題はあったと思うけども、脚本上は、前半、中盤までは矛盾なくうまくいっていたように思う。そこで、幕引きさせていれば、小品ながら、脚本上のクオリティは高かったと思う。中盤、後半にいろいろな要素が出てきて、作品の厚みはましたけども、矛盾点がいろいろ出てきた。 しかし、その要素を残し、あの尺があって、ひっかかるところが気にならない範囲になってたら、さらに一段高みに行けるかなと思う。 演出の要素もあって、演出でうまく処理できていれば、脚本上何の問題もないように見えたのかもしれない。どっちの範疇になってくるかは、むずかしい。 繰り返すけども、役者は、脚本・演出のオファーをクリアしていたように思えた。 (以下、作品とは直接関係ない) 〇 悪者の扱われ方について 日野さん、サイコパスみたいになってたね。 個人的には、悪者には悪者のリアリティがほしい。主役を立てるために、わるものが必要なのは確かだけど、リアリティがないと、悪者にしたてられた側に同情してしまう。普通は気づかないかもだけど、それはどうなんだ?という疑問はもった。 いじめられっ子が、いじめる側にブチ切れて殴ったとして、殴るのは一瞬。しかし、その前に半年くらい陰湿ないじめを受けていたかもしれない。そこで、殴ったところだけ取り上げて、悪者にしちゃいけない。 これは、極端な例だし、好き嫌いになってくる部分でもあるが。 ◯ 澄川さんの病状について 澄川さんの冒頭のシーンは、あれは重度のうつ病で、あそこまでなら誰でも深刻さに気づくし、いたわる。 冒頭の演技は軽くして、発達障害圏と設定すれば、矛盾なくとおるようにできそう。普通に話すし、目の前のことは普通にやるけども、やるといったことを平気でやらなくてケロっとしていることはありうる。何度言われたこともなかなか治らない。コミュニケーションは普通なので、普通は気づかない。ならば、日野さんが、あそこまでいってもおかしくないし、「甘えだよね」というのも通る。 (その分、日野さんの悪者度は落ちるけど) ただ、そうすると、後半、キリッとし出して、難民申請の手続きを、がんばってやるところはおかしいのだけども、発達障害という自覚を持って、todoの管理に工夫をして、やるといったことをちゃんとやれるようになるということはありうる。 ◯ 難民問題について 難民問題について扱ったのも、すごいと思う。 日本はアフリカとかヨーロッパとかみたいに、地続きで、隣国に紛争があって・・・・みたいなことはないから、難民問題は政治的には相対的な重要性が低い。 昔ながらの硬質な方法が残っているのだろう。 ビザだってそうで、相互免除になってない場合、日本のビザを取るのはけっこうめんどくさい。 作品としては、難民認定のハードルを下げるべきという主張があったように思うが、イデオロギーの話としてみると、個人的には何とも言えない。 演劇作品としてみると、社会問題について認知する場を提供したわけで、功績だと思う。 (演劇作品で、社会問題について、完璧な解決策を出さないといけないわけではない) ーーー 今後も社会有用性が高い活動を、よりクオリティを高めた作品で、世に問うことを期待したい。 以上に書いたことも、演劇作品と同じように、読んだ人がそれぞれの根拠や論理で評価されることになる。 冒頭に書いたけど、Twitter感想は、作品を評価するものがとても多かった。そちらも必ず見てほしい。 (生成AIによる参考情報) うつ病・引きこもり・発達障害は、それぞれ別の概念ですが、表面的に似て見える部分もあります。整理してみましょう。 共通すること
違うところうつ病
引きこもり
発達障害
まとめイメージ
💡つまり、
うつ病の重症度と希死念慮の関係(一般的な傾向)
※ICD-10やDSM-5などの診断基準でも「重症うつ病(Severe Depression)」には、しばしば「希死念慮や自殺企図のリスク」が明記されています。 ポイント
「ちょっとした散歩もできない」レベルは、一般的な基準でいうと中等度〜重度のうつ病に該当することが多いです。 重症度の目安(うつ病の診断基準に基づくイメージ)
あなたの書かれた状態
これは**「中等度の後半〜重度」**のイメージに近いです。 実際には、
ポイント
発達障害で散歩ができなくなる背景1. 強い不安・感覚過敏
2. 二次障害(うつ病・不安障害)
3. 実行機能の困難(ADHDなど)
4. 引きこもり状態の併発
まとめ
💡もし「散歩すら難しい状態」が続いているなら、
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by sailitium
| 2025-10-15 12:34
| 制作的なこと(演劇)
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2025年 09月 17日
日本のアーツカウンシルの特徴を生成AIに聞いてみた以下、生成AIによる。 1. 欧米型アーツカウンシルの本質
👉 これらが「アーツカウンシルの定義的条件」と言える。 2. 日本型アーツカウンシルの実態
3. 両者の対比
4. 結論(論証の核)
(以下、私の個人的な意見) まず、生成AIなんで、これがほんとうに正しいのかというのはある。 芸術文化振興基金は、アーツカウンシルの中核的な定義を一定程度満たしているように思える。 地方自治体のアーツカウンシルの分析については、概ねあたっているような気はするけども、ファクトチェックは必要。 #
by sailitium
| 2025-09-17 12:52
| 制作的なこと(演劇)
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