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福岡・九州地域演劇祭
プロフィール たかさきの簡単プロフィールです。 PINstage たかさきの舞台芸術関係の活動の屋号です。 FPAP 福岡の演劇等舞台芸術を支援するNPO法人です。最近のメインはほとんどココです。 九州地域演劇協議会 九州内の6つの地域演劇支援団体により設立。 FPAP職員の日々之精進 FPAP常勤職員がおくる赤裸々日報。 制作者は語る(fringe) 全国の制作者による注目のブログです。 昨日 今日 トータル にほんブログ村 スパム対策でトラックバックには、送信元記事にこのブログへのリンクが必要になっています。どうかご了承ください 最新のコメント
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2014年 06月 23日
文系の人に多いらしいようだが、確率論的な考え方ができない人がいると言われる。 確率論的な考え方ができないと、人生でいろいろ不利だ。
例えば、以下のようなトンチンカンなことを言ってしまったりする。 「東大に行ったからといって、必ずしも頭がイイわけではない。」 ↓ 「頭のイイ人がほしいから、東大にいっている人は、やめた方がいい。」 これが、変なことだというのは誰でもわかると思うが、こんな発言をついついやってしまう。ちょっと立ち止まって考えればわかると思うのだけど、ついついやってしまう。 ・東大に行ったからといって、必ずしも頭がイイわけではない。 これはこれでそのとおりなんだろうが、要は確率の問題だ。 じゃあ、日本に、頭のいい人の率が最も多い大学はどこか?となれば、それは東大になる。 (その結論を認めたくないがゆえに、よっぽどひねくれた回答しない限りは) 「東大に行ったからといって、必ずしも頭がイイわけではない。」 ↓ 「が、頭のいい人のいる確率が最も高い大学である。」・・・(1) ↓ 「東大から採用しよう」 が、正しい回答だ。 この(1)の部分が確率論的考え方だ。 (変にプライドが高いのはリスクもあるので、頭の良さと根性のバランスがとれた人がいい。となれば、別の大学から取るということもありうるだろう。) さて、それで、確率論的な考え方を身につける時に、思いついた方法がある。 飲み会とかの出席人数を調査するときに、参加できるかどうかで聞くのではなく、何%くらい出席できそうかを聞くのだ。 以下の3パターンで聞く。 ・参加する(100%) ・半々 (50%) ・参加しない(0%) これを合計すると、かなり正確に、当日の出席者数を予測できたという経験がある。 ・参加する(100%) 10人 ・半々 (50%) 10人 ・参加しない(0%) 10人 とかなら、出席者15名と予想する。 (100%☓10人+50%☓10人+0%☓10人)=15人 参加できるかどうかで聞くと、0%か100%の世界だから、微妙なのに参加するに◯していたりして、当日になってドタキャン、人数が減って、幹事、頭を悩ます。みたいなことが発生する。 こんなの余裕じゃん、、、って場合は、25%刻みをおすすめしたい。 ・参加する気マンマン(100%) ・参加しそうな感じだ(75%) ・半々 (50%) ・多分参加しないだろうけど、まるっきり拒否ってるわけでもない(25%) ・参加しない(0%) このやり方でいけば、かなり正確に参加人数が予想できた。自分の経験としては。 ちなみにこれはエクセルで計算式組むともっと楽にできるよ。エクセルの初歩としてもオススメ。掛け算と合計の練習ができます。 そういや、昔役者やってたときには、チケットノルマがあって、30枚をどう売るか、、、みたいなところで、リストは作るわけだけども、この人は80%いける、この人は30%位、、、みたいな感じのリストにして、買ってもらったりしてたなぁ。 #
by sailitium
| 2014-06-23 12:28
| さくてきな視点で(非演劇)
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2014年 06月 22日
(ネタバレもありますので、見終わってから読まれることをおすすめします。)
概要 iaku「人の気も知らないで」を見た。 白い壁の小さな空間。客席20弱。舞台はカフェを想定したようなつくり。丸テーブルと簡素な椅子が5,6脚。 装置照明音響といったテクニカルの仕事は極力省略。 女性3人の対話劇。 あや、おさだ、こころ。 みながら、最初に思ったのは、プロデューサーが選びそうな脚本だなということ(理由後述)。また、序盤のあたりで、作品の構造としては、「12人の怒れる男たち」に近いなと思った。 新事実や新視点が出てくるたびに、おさだとこころの優勢・劣勢、良い者・悪者が入れ替わる。55分の時間の中に綱引きのように右に行ったり左に行ったり。 そのためのプロットの置き方やセリフとして出てくるタイミングが実に巧みで、相当に計算されているホンだなと思った。メインの流れは見えていたと思うが、早すぎて見えない達人同士の拳のやりとりのように、見えていないフェイントもあったかもしれない。 続き|長いです #
by sailitium
| 2014-06-22 19:30
| 観劇して|感想・批評
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2014年 06月 21日
演劇公演とか企画で、「作品批評(劇評)」「公演批評」「企画批評」を、わけて考えてみるとおもしろい。
どっかで書いたかもしれないけど、ちょっとツイートする機会があって、「作品批評(劇評)」「公演批評」「企画批評」の違いについて考えたい。 これは、単純に定義の問題とか言葉遊びの問題を超えて、はっきりと違うものである。 「作品批評(劇評)」 演劇でいえば、作品批評はほぼ劇評といっていい。純粋に舞台上で行われることへの批評である。 ただ、劇評と冠されたものの中でも、ほとんどが脚本批評だったりするものがある。 テクニカルやキャストのパフォーマンス、演出の仕事も総合して捉えないと劇評とは言いがたい。 「公演批評」 「公演批評」は「作品批評(劇評)」よりも広い視点が必要になる。 また、「公演批評」の基礎は「作品批評(劇評)」になる。 例えば、作品が良くても客席がすっからかんだったら、公演としては失敗だ。また、作品が良くても、受付のハンドリングが良くなくて、お客さんに不快な思いをさせちゃったら、公演としては疑問符が残る。 こんなふうに、「公演批評」と「作品批評(劇評)」はちょっと違うものである。 「作品批評(劇評)」に、受付の良さとか、動員とか、広報とか制作的なことも含めて、公演がうまくいっていたかどうかまでをバランスよく視野にいれることができれば、「公演批評」だ。 劇場が芝居にあってないという問題があったとしよう。これは「公演批評」に入れるべきか、「作品批評(劇評)」に入れるべきか、ちょうど真ん中くらいのところだ。 「企画批評」 「企画批評」は、さらに視野が広い。 その作品を、その場所で、そんなふうにやることに、意義があったのかどうか?みたいなことになる。 企画のプレゼンとかでは、「なぜ、今、ここで、その作品をやる必要があるのか?」みたいな課題が、ほぼ間違いなく用意される。 たとえば、以下の様なやりとりがなされる。 「昨今、わが町では、若者のコミュニケーション不全が問題とされている。今回の作品は、そういう問題に正面から取り組むものである。作品を見た町民が、そういった問題に対して考えるきっかけとなる。また、そういう環境にある若者を受容的に理解する答えが含有されている。よって、今、わが町で、この作品を行うことには重要な意義がある。」 みたいなね。 他にも「とてもいい内容だと思うが、それをやっているところは多い。うちがやっても、地域全体のメリットは少ないのではないか?」とかも、企画批評的な見方だ。 その企画が、社会に対して有効だったかどうか。主催者の持つミッションにかなうかどうかみたいなことへの批評が「企画批評」である。 残念ながら、こういうことにしっかりアプローチした文章は、ほぼ流通していない。 (あいちトリエンナーレ|中日新聞の座談会 は、企画批評だった (→後述)) 演劇公演よりも、人材育成企画のほうが「企画批評」はやりやすい。企画の目的が比較的はっきりしているからだ。 たとえば近年、FPAPでは役者ワークショップをほとんどやらなくなった。これは、今の福岡では役者分野は他の分野よりも充実していて、他に優先すべき課題があるという、現状分析の基にそうなっている。これは企画評的な考え方だ。 地域演劇シーンの活性化がミッションである団体があるとすれば、その地域の抱える問題を発見して、重要度や費用対効果の高いものからやっていく必要がある。 公共ホールの場合、地域から表現人材を育成しようと考えているかどうかが大きなポイントになるだろう。やはりまず最初は、鑑賞環境を整備することが重要だからそこから着手すべきであろう。人口が多くて商業ベースの鑑賞機会が一定程度あるならば、商業ベースでは触れられない作品の鑑賞機会となったり、市民劇みたいな創作機会の提供をとなるだろう。 まぁ、難しいのは、人間、自分が関心があることは重要な事と認識し、そうでないことは軽視する。役者は俳優WSを望むし、制作者はアートマネジメント講座を望む。 自分の関心と地域の真のニーズを分けて考えることは難しい。 これを分けて考えられる人は、国内でもごく少数だろう。 自分の関心と地域の真のニーズがたまたま一致していたというケースもありうる。こういう人はラッキーだ。 (批評と感想の違い。私の定義) 相手がやりたいことを理解して、そのうえでこういう方が良かったのでは?っていうのが批評。 相手がやりたいことを理解する作業なしに、好き嫌いや決めつけで書いているのが感想
(参考) あいちトリエンナーレ|中日新聞の座談会を高く評価するとともに、同新聞に反論も同等レベルの扱いで載せるべき http://fringe.jp/blog/archives/2013/11/02181635.html 福岡の人も演劇の「企画」への目が高くなってきている http://sakuteki.exblog.jp/19636108/ 企画批評という概念がないから、作品批評のレベルが上がらないのかも。それと戯曲批評と作品批評は http://sakuteki.exblog.jp/19955679/ #
by sailitium
| 2014-06-21 12:48
| 劇評・批評について
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2014年 06月 20日
いろいろあるんだろうけど、ひとり少ない中、集中を切らさずきっちり守ったギリシャが強かった。というのがもっとも大きな要素なのかな、という気がする。
高いクロスはほぼ跳ね返されるし、引いたラインで密集されて、寄せられてフリーでボールを持たせてもらえなかった感じがする。 日本の攻撃陣も、ペナルティエリアに入っていくのを躊躇していたようにも見えたというか、ちょっと積極性にかけるような気がせんでもないけど、あからさまなミスとかじゃなくて、あと一歩足が届かなかったとか、一歩運がこっちに向いてくれなかったという感じがする。 惜しいシュート、惜しい場面はあったけど、それは相手も日本の2/3位はあった。 それにしても、日本の攻撃陣はボールが足に吸い付いてない感じがした。ツキがないというか。技術を高めることで、運の左右する範囲を少し減らすことができるのだろうが、技術は今日明日でうまくなるもんでもない。 ボールはかなり支配していたが、相手が堅守速攻タイプだから、ボールを持たされていたという面もあると思う。おかげで悪い面が目立つことは少なかったように思うが、不運にもいいところが目立つこともなかったような気がする。 どうなんだろう。ああいうときは後ろから上がってきた選手に、どフリーでのミドルシュートをどんどん打たせて、ラインをあげさせるとかやれば効果的なんだろうか? よーわからんが 話は変わるが、決定的な場面という言葉があるが、 ・5回に1回は決まるような場面 ・5回に2回は決まるような場面 この2つの決定的な場面にはおおきな差がある。 ちなみにPKがゴールになる確率は5回に4回、CKは50回に1回ということらしい。 今日、けっこういいところでFKもらっていたが、あれもゴールにつながるのは多分10回に1回くらいなんだろうな。 そういった意味で言うと、10回に1回くらいのシーンが3,4度。5回に1回くらいのシーンが1,2度あったかどうかって位か。 こういう決定的なシーンまたは準決定的なシーンの回数が多いほど点も取れる。 しかし、まだ決勝進出の可能性はある。 日本とギリシャがともに勝てばいい。どっちも格上との戦いだから容易ではないだろうが。 日本が2点差で勝ち、コージとギリシヤが引き分けるというのでもいい。ギリシヤの堅守が冴えれば可能だ。 とはいえ、決勝トーナメント進出の可能性は10%くらいだろう。 (日本が2点差以上で確率20% ギリシャが勝つか引き分ける可能性60%として) しかし、10%あるなら5時起きできる! 3%とかなら5時起きできないけど。 また、ちょっと話変わるけど、長谷部がすごかったんじゃないかと思う。今回長谷部がいなかったら負けてたんじゃないかと思う。あのー、そのー、あんまり褒められたことじゃないかもだけど、まず、ギリシャの点取り屋を接触プレーで退場させた。あれは不可抗力の接触で肘が入っていたと信じているが「入った」ではなく「入れた」ようにも見える。 あの選手が残っていたら、CKでやられていたかもしれん。 あと、サッカーはカメラに見えないところでの心理的な駆け引き、足を踏んだりとか、罵詈雑言で怒らせたりとかがあるらしいが、長谷部が相手から2枚目のイエローを引き出して退場に追い込んだのも長谷部の計算の上でのことかもしれない。 この1名減がなかったら、日本は負けていたかもしれない。 ちなみににわかの素人の言うことですので、適当に聞き流してください。と前書いてたけど、スポートナビのブログ見てたら、そこまで卑屈にならんでいいのかなという気がしてきた。 #
by sailitium
| 2014-06-20 12:46
| さくてきな視点で(非演劇)
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2014年 06月 19日
サッカーと麻雀は似ている。 うまく言葉で説明できるのかどうかわからないが、サッカーと麻雀は似ている。確率論的な考え方が大きな要素になる。 麻雀では、早く軽い手で上がるのか、打ち回してより良い形、高い点数に持っていくのかがポイントになる。前者は確率は高いが点数は少ない。後者は確率は落ちるが点数は高い。期待値をどう評価するかみたいなことだ。 一方、サッカーは、遠くから可能性の低いムリなシュートを打つのか、それともパスを回して決定的な場面をつくろうとするのかが戦術の違いになって現れる。 サッカーで、負けてるシーンで残り時間少なくなってパワープレイにはしったりするのは、麻雀で言えばオーラスで国士無双狙うしかない状況に似ている。 可能性は低いが、一発逆転を狙う。みたいな感じだ。 それぞれ、勝利の可能性を高めるために、以下の様な努力ができる。 (サッカー)個々の実力を高める、組織力を高める。 (麻雀)何を切るのが確率が高いのか瞬時に判断する能力を高める。捨て牌から当たり牌を読む能力を高める。 そうやって努力して、実力は高まる。実力が上がれば勝つ可能性は高まる。 けど、運の要素も大きい。必ずしも強いほうが勝つとは限らない。 このへんは将棋、囲碁、野球、相撲なんかとはだいぶ違う。これらは運に左右される要素が小さい。 自分は麻雀では、運に流れがあると考えている。考えているというか、そういう仮定を指針にしている。 自分の運の流れと他の3人の運の流れをがどうかと考える。今どっちが運が上だろうか、勝負するべきか降りるべきかみたいなことを考える。 配牌で自分の手がいい時でも、ギリギリで相手に競り負けたりした直後だったら、そこが運の切り替わりの境目だと思う。 その後は、しばらくおとなしくする。 逆に、相手の当たり牌をピターと止めてたりしたら、相手との運の入れ替わったタイミングとみて、その相手に対して次の局は勝負に出る。 この考えはサッカーを見ているときにも適用している。 かなりいい流れになっても、得点につながらずに凌がれたら、次には大きなピンチが来ると思っている。 麻雀で言うなら、勝つ時にはしっかり勝っておく。凡ミスでしっかり上がれなかったりしたら、運は入れ替わる。 サッカーもいいタイミングで決められなかったらヤバイ。 先日のコートジボワール戦で言うと、得点を決めて、そのあと10分位は日本はいい時間帯だった。そこで決められなかった。 その後はずーっと悪かった。 後半始まってしばらくはちょっと良かったけど、そこで決められなくて、後はずーと悪かった。 話は変わるが、将棋は戦術感が鍛えられる。攻守のバランスを保ちながら、攻めたいところに相手より多くの駒をあてて相手の陣を破るのが基本だ。 一方囲碁は、大局観、戦略感が鍛えられる。目の広い網を広範囲に打つのか、目の細かい網を狭い範囲に打つのか。 さらに麻雀は運の要素をどう判断していくのかが鍛えられる。 ただ、いずれのゲームも長くて1,2日で決着がつくものだ。ロジスティックスという視点を鍛えるゲームというのはおそらく世の中にない。 大戦略というゲームがあったが、あれは完全に戦術の世界だった。補給という概念はあるが、ご都合主義的に省略されすぎていてロジスティックスまでには達してない。 というか、ロジスティックスが問題になるのは戦争くらいなのかもしれない。これは要素が複雑で相互に影響するからなかなか読めるものではないのかもしれない。 アメリカだって多方面に余力を有していたからあまり問題にならなかっただけで、乏しい予算と資源でやりくりしないといけないとなったらあちこちに破綻が出ていただろう。国力の差だ。 それで、サッカーの話に戻すけど、 自分のワールドカップ理論は、ツイてる男を探しだしてそいつを使い続けろだ。スキラッチとかね。 先の日本代表で言うなら稲本はフルで使うべきだったと思ってる。その流れで言うなら、川島悪くなかったと思うけど、あたっている時なら2本目は止めていた。あたってるGKを探そう。 全選手の血液・星座占い、バイオリズムを数値化して、スターティングメンバー決定に加味しよう!四柱推命もいれていい(笑) それと運とは関係ないが、選手交代が齟齬の結果に及ぼした影響は因果関係の証明が難しい。 選手を変えたほうが良かったのか、変えなかったほうが良かったのかは、ほぼ結果論/感情論でしか無い。 麻雀で言えば、 「ここで、1萬引くなら、2萬とっとけばよかったのに〜」って言ってるみたいなもんだ。 #
by sailitium
| 2014-06-19 12:26
| さくてきな視点で(非演劇)
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