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福岡・九州地域演劇祭
プロフィール たかさきの簡単プロフィールです。 PINstage たかさきの舞台芸術関係の活動の屋号です。 FPAP 福岡の演劇等舞台芸術を支援するNPO法人です。最近のメインはほとんどココです。 九州地域演劇協議会 九州内の6つの地域演劇支援団体により設立。 FPAP職員の日々之精進 FPAP常勤職員がおくる赤裸々日報。 制作者は語る(fringe) 全国の制作者による注目のブログです。 昨日 今日 トータル にほんブログ村 スパム対策でトラックバックには、送信元記事にこのブログへのリンクが必要になっています。どうかご了承ください 最新のコメント
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2009年 04月 03日
近年、行政主導の地域演劇行政が、地域のカンパニーの弱体化を招いているのではないかという話を聞く。これが一都市くらいならともかく、複数の都市の人から聞くに及んで、自分なりに考えた。
その話を総合すると、行政も決して悪気があるわけではないし、行政だけに責任があるわけでもない。 が、その風景を一言で言い表すならば、「悪い意味で、贅沢を覚えてしまう」と言うことが出来そうだ。 たとえば、行政が主導したプロデュース公演では、演劇村で成立するような無償奉仕に必要以上に頼ることも出来ず、一定以上のギャラも確保されるだろう。 それがないとしたら、やはりそっちのほうが問題だ。 他にも、役者はチケットノルマもなく役者に専念出来る環境があって、制作面については行政が一手に請け負ってお客さんを呼ぶだろう。むろん演出家がコンビニで脚本をコピーしたりすることもないだろう。 それで、芝居や座組の雰囲気が良ければ、関係者の満足度は相当に高いだろう。かなりの充実感があることだろうと思う。 しかし、それが将来の地域の演劇シーンにどういう成果を残すのかはという疑いは、冷静に見る必要がある。 その充実感は、一過性のものではないのか? 悪い意味で贅沢を知った役者が劇団に戻ったとき、劇団としての公演に必須の役者以外の業務についてもこれまでどおりのモチベーションを持ってやれるのか? 稽古場の心配もせず、脚本の印刷もせずに演出に専念できた演出家が劇団に戻ったとき、役者の日程調整を苦心して練習日程や場所を確保したりすることができるのか? 制作面については行政がうけおって、大きな努力もなく相当数のお客さんが来てくれる環境を知った演劇人が劇団に戻ったとき、これまでどおりみんなで力を合わせてがんばって制作面を運用して、チラシの折込も分担して、お客さんも呼ぶという努力が出来るのか? この面で、悪い効果があるようなら、それは劇団の弱体化につながる。 人間は弱いものだし、いちど良い思いをすると、それが自分の中のスタンダードになり、このように思うかもしれない。 「本当は自分は役者に専念する環境が与えられるべきなのに、劇団ではそうではない。」と。 これは、やはり勘違いに部類されると思うし、行政だけの責任ではない。むしろ個人の責任である。 高崎は、個人的にプロデュース公演には、基本的に以下の二つの目標が考えられる思う。 1 初心者が参加出来るもので、それをきっかけとして、新たな劇団やユニットが生まれる。 2 すばらしい俳優、スタッフを集めて、ハイクオリティかつ動員もできる芝居をつくる。できれば商業的に成立させる。あわよくばそれをツアーに出して、その地域のプレゼンスを高める。 いわゆる行政がやるものは、基本は1で、地域の演劇状況がもりあっていれば2もねらう。というところだろう。 とくに1をやるときに重要なのは、「新たな劇団やユニットが生まれる。」というところだ。 行政も、永遠にプロデュース公演をするわけにはいかない。自立的に活動出来る組織(劇団)をうんで、次の文化支援へとステップアップしなければならない。 そこにつながらない一過性の充実感を与えただけに終わるならば、それは企画として弱いと言わざるを得ないし、地域の劇団の弱体化のきっかけになるのであれば、それはない方が良いと言えるかも知れない。 その地域の演劇文化を支えるのは、自立的に活動出来る組織(劇団)なのだ。生き残るべきは劇団である。強化すべきは劇団である。育成すべきは劇団である。 福岡で言えば、劇団数もそこそこに多く、プロデュース公演があったとしても、それにかかわるのは一部の劇団に過ぎない。多くの劇団は悪い意味で贅沢を覚えることもなく、牙を磨ける。 この点で言えば、福岡の状況では担当者がそこまでの配慮をしなくても、悪影響は少ない。 しかしながら、もうちょっと規模の小さい都市の担当者はこういったことにも思いを巡らさなければならない。その能力や見識は3年や5年の実務経験では、やはり得ることが出来ない。 自分がそういう企画の責任者であれば、このプロデュース公演はあくまで例外的なものであることを強調し、いかに劇団に持ち帰ってもらうかが重要であることを繰り返すだろう。 プロデュース公演に送り出す側の劇団の責任者であれば、そういう勘違いしそうな役者は弊害の方が大きいと判断しプロデュース公演に出させない。でも、それも難しいだろうし、大半の役者はそういう一時的なものに浮かれずストイックな努力を続けられるものと信じたい。 「今までの環境とは全く違う環境が用意されるかも知れないが、それで自分を見失わないように」と日頃から、言っておくくらいだろう。 役者は個人であり、結局どちらを選ぶかは役者次第。プロデュース公演がいつまでも行われその役者が起用され続けていればいいが、そんなことは基本的にはありえない。
by sailitium
| 2009-04-03 12:22
| 福岡・九州・地域の状況
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Comments(7)
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tanise
at 2009-04-03 22:00
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「劇団員」が意識すべきことは、自分は劇団においては「いち役者」ではなく「構成メンバーである」ということだと考えてます。
運営主体、主催者、会社で言えば総会出席者、そして外注スタッフを入れる時には「雇用主側」であるということ。 どんなに仲良しで毎回客演に入ってても、その劇団のメンバーでないならば、運営や未来について関わることは出来ません。 劇団員であるということの特権的な位置を、誇りを持って認識しているメンバーは「プロデュース公演で得られないこと」も知っており、その認識は結果劇団自体の作品クオリティを上げていくと感じています。
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sailitium at 2009-04-04 17:14
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野本葉言
at 2009-04-14 17:48
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行政主体で公演があったところで、出演した役者がその恩恵で人並みの生活ができるわけでもなく、遠くから通う場合あきらかに上記のゼイタクというのは存在しないと言い切ることができます。都市に近い人ほど土日祝を期待した活動、運営がしやすいでしょうが、遠い人間はそういったさまざまな近郊人の常識を打ち破らないと関わることすらできません。「地域」の定義を極地的にしないためには、地域演劇の動向は長い目と広い目のふたつの視野でしっかりとらえるべきと考えます。
行政主体公演で地域演劇が弱体化するという話は、関連性に乏しい論拠から来ているように思えて、あまり同感できません。
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たかさき
at 2009-04-14 18:45
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野本さん、コメントありがとうございます。
確かに定量的な数値化した根拠を示しにくい素材です。 また、すべての地域でこのような現象が起こっているとも思いません。 どの部分に関連性が乏しいのか、ご指摘いただければ議論が深まるかと思います。 私がいくつかの地域で起こったこととして書いているのに対し、野本さんはより抽象化された「地域」を念頭においているのかもしれませんね。
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たかさき
at 2009-04-21 19:43
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また、立場や経験などにもよるでしょう。
ある程度、行政が地域劇団を弱体化するような現場を見ている方には、共感が得られる内容だと思っています。 実際にいくつかの地域でおこっていることだと思いますし、地域演劇支援に携わる全ての人が念頭におくべきことだろうと思っています。 ブログを読み返してみましたが、関連性に乏しいとは思いません。 また主論としては「地域演劇」を弱体化しているのではなく「地域劇団」の弱体化としています。ここは若干の混同があるようです。 行政の地域演劇支援はトータルでみれば地域演劇のプラスになっていると思います。
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野本葉言
at 2009-04-21 22:42
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たとえば自分も、一瞬地域劇団に入ったことがあります。ほとんど通うだけで精一杯ですぐに離れました。劇団業務において役者に専念したいからと考えたことはほとんどありません。でも関わるからには演劇に専念しなくては到底体力が持たないわけです。地域、は自転車こぎまくって、歩きまくって具体的に体感しています。あやうい運転をする車、左歩行してもよけようとしない街の人。現代人が現代文明のつかいかたに追いつけず、街全体が疲弊している様子を見受けます。劇団員の離散にはもっとたくさんの理由があるはずです。芝居における最高のクオリティは集えることであると思います。それ以上を望むことのほうが贅沢だと思うのです。 無償奉仕こそ長い目で期待できるものではないはずです。それはひととひととの関連性を乏しくさせるでしょう。 ツアーに向かう先には無償奉仕で疲弊した人たちがいるかもしれません。たかさきさんが「若干の混同」を指摘するのならば返信します。劇団が自立的である必要はどこにあるのでしょうか。劇団は、自立しなくてはならないのです。
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sailitium at 2009-04-22 12:25
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