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福岡・九州地域演劇祭
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2015年 10月 21日
ポストドラマ演劇というものについて、ちょろっと調べて、感じたことを書いています。が、これがわかったところでなんの役に立つのかはとても疑問です。今更、、、というのもあり。 ポストドラマ演劇という単語を、自信を持って使えるというくらいです。 ポストドラマ演劇という単語を初めて聞いたのは、10年位前だったような記憶だ。いや、7,8年くらい前だったかもしれない。 とするならば、その手法によらない演劇のことかなぁとぼんやりと無意識に印象していたくらいだ。 そして、それで困らなかった。 基礎研究自体は直接的な成果は生まないが、一方ノーベル賞などは基礎研究を重視する。 応用にばかり力を入れている国ではなかなかこの賞が取れない。 また仮に、すごい演劇人が地域にいて、20年間黙々と日の当たらない公演を続け、ある大発明をしたとしても、そこに注目が集まることはない。 *青年団だって、 戦略的な活動をしていながら発見されるまでには年数を要した。東京でも発見されずに消えたところはあるだろう。 江戸時代の数学者である関孝和は、世界で最も早く「行列」の概念を発見した。けど、そこには世界的に対して光は当たらず、ライプニッツのほうがはるかに世界的には有名みたいなものだろう。 ーーーーーーーーーー とりあえずわけわからない演劇はポストドラマと思っとけ ポストドラマ演劇の意味が分かる方いらっしゃいませんか http://goo.gl/PdzDa5 舞台とは何かを考えるとき、さまざまな舞台要素(演技、美術、照明など)を戯曲から独立した表現として受け入れなければならない。しかも舞台上でのこれらの諸要素の統合を求める必要はない。多様な要素がそれぞれ自立した舞台、それがポストドラマ演劇と総称されるのである。 ポストドラマ演劇とは? https://goo.gl/J42NVT 作品が問題を提示するのではなく、鑑賞者において問題が再構成されることである。従来の芸術にあったような受動的な形ではなく、より能動的、生産的に鑑賞者が芸術について考えるようになるのである。ポストドラマ的演劇は、テクストや演劇を受容する際に受容者が問題を再構成する必要がある演劇だと言える。 ハンス=ティース・レーマン氏レクチャー記録 http://goo.gl/IhmnCZ 「ポストドラマ演劇」の紹介してるPDF https://goo.gl/MXJ8O3 ーーーーー 一応、自分としては何となくわかった。 それと、小劇場系の演劇が、ドラマ演劇の教科書である新劇のポストな面があるので、小劇場系の演劇の中には、普通にポストドラマ演劇が混ざってきていると理解していいんじゃないかと思う。 つづく。
by sailitium
| 2015-10-21 12:36
| 作劇のこと
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Comments(2)
Commented
by
sailitium at 2015-12-12 21:51
私が「ほぼ必要とされない」といったのは、卑下でも何でもなくて、一言で言えば人口の差だけです。 たとえば、100人の村では医者は持てないわけです。これが1000人なら一般医がいて、10000人になれば専門医がいるみたいなことです。 また、例えば人口1000人で、専門医がいてもあまり機能しないわけです。 それで1000人の人口のところは、その状況やその価値観を理解して、どうあるべきか考えるべきなんですけども、それでもつい10000人の状況から無意識に積み上がった思考で考えてしまう。 (私も含め、これは人間の限界だと思っています。全ての人間が逃れられない) また、トーキョーは一都市と定義してしまうと、状況が正確に読み取れないと思います。東大っていっても一大学にすぎないみたいなことになるんじゃないかと。 私自体は、福岡の状況は他地域と比較してある程度満足できる水準にはあると思っています。ですが、次の目標もある。これに向けて頑張っていきたいと思います。 それと、たとえば、地域で新しい演劇性を備えた作品に挑戦するのはいいけど、可能性から言って私はほぼ生まれないだろうと思っています。 それは、純粋に、そういう演劇的実験の数の問題です。1000の劇団があれば、2,3年に1回はうまれるかもしれない。それが、100の劇団だと20,30年に1回くらいになってしまいます。 たとえこれでは、なにか生まれたとしても、それに気付いてくれる人もいない。 これは卑下しているわけでは決して無いのです。
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by
sailitium at 2015-12-12 21:56
いや、でも、卑下がまったくゼロって言ったら嘘ですね(笑)
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