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福岡・九州地域演劇祭
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2014年 09月 29日
「都会では消費されやすいが、非都会では消費されにくい」という仮説があるとする。その仮説に違和感を持った。
・消費という言葉を、雰囲気だけで使っているのではないか? ・都会の人による、一面的な視点での田舎へのあこがれなんじゃないか? という違和感を持った。 つくり手が、自分の作品が消費されているという感覚を持つことが、東京などの大都市圏で発生するのはよく分かる。 自分の作った作品が、やったその瞬間だけで、すぐに忘れられてしまう。他の多くの作品にまぎれてしまってすぐに忘れられてしまう。 みたいなことを「消費されている」と感じるのだろう。*1 しかし、それは一種の誤解なんじゃないかと思う。 たとえば、東京のある劇団で、動員が1000人位の劇団があったとして、その1000人のお客さんの年間の観劇本数を調べてみたとしよう。 年間10本未満が、多数なんじゃないだろうか。 それが60%なのか、90%なのかはわからないけども。 動員の方針にもよるだろうが、動員が300人の劇団も10000人の劇団も、その比率はそんなに変わらないと思う。 年間10本未満の人に、「消費」されているとしたら、それは芝居の力の問題であって、ちゃんとした作品ならば、消費されることはない。 (年間100本以上見ている人は、次から次へとどんどん見て、一本の観劇体験を長く心に留めることがなく、一般的に、消費しているという言い方があるならば、こういう人たちのことをいっているんじゃないだろうか?) これが、人口が10万人くらいの非都会だったとしよう。 ここで芝居が行われて、1000人の人が見たとする。この時、1000人のうちの観客の99%は、年間10本未満になるかもしれない。 ここでは、他の作品の観劇体験により、消費されるということは少ないかもしれない。 しかし人口1000万人の東京と、人口10万人の非都会では、母数となる観客の数がまるで違う。 年間10本未満の観客の数で比べれば、圧倒的に都会のほうが多くなる。 率としては、都会の方が消費される率は高いとしても、消費でない形でより多くの人の心に作品の記憶を残すことが出来るのは、やはり都会だ。 *1 その定義によれば、多くの作品を見ている人が、消費している人ということになってしまう。これも違うんじゃないかと思う。 以前、扇田昭彦さんと飲んでた時に、「もう自分が死ぬという時、死ぬ前に見たい作品3本をあげよう」みたいな話になった。 こういう時に、多くの作品を提示できるのは、やっぱ瀕観劇者だ。 年間10本未満の人は、演劇じゃなくて、映画とか上げるだろう。 芝居を見るとかより、本を読みたいとか、旅行に行きたいとか言うかもしれない。 ◯ 他にも演劇以外の刺激的な情報が次々とはいって、観劇体験が忘れられてしまうということはあるだろう。 たとえば、人口10万人くらいの非都会で市民ミュージカルとかやれば、親類縁者友人あたりでは、1年間ぐらい話題が続くかもしれない。 しかし、そういう競争が厳しいところでやるっていうのは、なんだかんだで本人たちの選択だし、そういう不利もあるけど、トータルで見たら都会でやるほうが有利だから、そこでやっているのだろうと思う。 そう考えると、やはり贅沢病としかいえないんじゃないか。 そういう感覚があることは否定できない事実としても。 ーー 20110113追記 上っ面の型通りに扱われる。掘り下げてもらえない。ってことかなぁ。 先日、離島の演劇部の活躍をあつかった番組を見たときに、
by sailitium
| 2014-09-29 12:34
| 制作的なこと(演劇)
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