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福岡・九州地域演劇祭
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2014年 08月 15日
だいたい人間は、だれしも幸せになりたいと思っている。幸福を追求する。 それで一生懸命働くとか、社会に適合しようと努力したりする。 明治維新からこっち、たいていの日本人は幸せになろうと努力したし、自分たちはともかく、子の世代は幸せになってほしいという思いで努力した。 好きな人と結婚できないとか、社会に出て仕事ができないとか、貧乏で辛い思いをするとか、医療が受けられずに家族を失うとか、戦争に子どもを取られて戦死するとか。 次の世代がそういう理不尽な思いをしないように、日本人は努力してきた。 それで、世界的に見ればもっともそれを達成した国になっている。おそらく世界で一番だと思う。 が、それで日本人の幸福度は上がっているか? 上がっていない。むしろ下がっている。 なぜだろう? それは人が、きわめて欲深い生物だから、、ということなんだろうなと思う。 たとえば、年収が300万の人がいたとして、年収が50万上がればなぁ、、、とずっと思い続けるものとする。 年収が上がらなければ、この人は、あと50万あがればなぁとずっと思い続ける。 この人が年収が50万上がって350万になったとしよう。この人は数ヶ月はそのことに満足するが、やがてこう思い始める 「年収があと100万上がればなぁ、、、」と こんなふうに、人は幸せになった時に、より大きな幸せを求めてしまう、欲深い生き物なんだということなんだな。 10の幸せを得ると、100の幸せが欲しくなり、100の幸せを得ると1000の幸せが欲しくなる。しかし、そんなどんどんゲットすることはムリだ。逆に満たされて無い感(不幸)を強めてしまう。 これは、個人としてもそうだし、祖父母 ー 両親 ー 子ー孫という縦軸で見ても同じことが言える。そう考えると恐ろしいね。子や孫も餓鬼として生き続けなければならない、、、みたいな。 明治維新以降の我々の祖先は立派だったと思う。貧しい生活に耐え、自分のことよりも子の幸せを願った。将来が少しでもよくなればと、長時間労働や相性の合わない姑にも耐えてきた。 そうやって、今の日本は、世界最高度の豊かな生活、安全な社会、長生きの社会を手に入れた。可処分所得や余暇の時間、安全であるとか享受できる文化の質など、これまでの日本史で最高レベルになっているだろう。 しかし、安心して子を産めないとか、生きにくい世の中とか、不平不満もこれまでの日本史で最高レベルだ。 そして社会保障はより手厚く税金上げるのは反対と、どんどん子や孫の世代への負債を増やして、自分たちさえ楽すりゃいいという意見ばかりになっている。 もうね、いいかげんにせぇと、、、 しかし、そう思うと、徳川家康はやっぱり偉かったのかもしれない。 江戸時代は、徳川家のエゴにより、社会が進歩しないようにされた時代だった。 身分制度もあり理不尽なことも多かっただろう。が、子や孫にそういう思いをさせたくないというモチベーションがほとんど働かなかった。 明治維新以降は、勉強していい学校に行けば道が開ける可能性があるが、当時は何したって、百姓の子は百姓で、努力したって理不尽な環境から脱出できることはなかった。 社会が進歩しないように統制された社会って、まるで進撃の巨人みたいなわけだが、主観的幸福度というとそっちのほうが全然先進的なことなのかもしれない。 幸福追求権が、人を不幸にするということなのかもしれない。
by sailitium
| 2014-08-15 13:49
| さくてきな視点で(非演劇)
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