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福岡・九州地域演劇祭
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2014年 06月 09日
たとえば、ある自治体が舞台芸術に特化した施設を作り、いろいろな事業をやったとする。
そんなに大きな自治体ではなく、そこまでやるのは国内的にも珍しいことだとする。 自分も含めて、舞台芸術畑にいれば、そういう方向性を素晴らしいと思うし、そういう自治体には先見の明があると思うと思うだろう。 しかし、そうやって持ち上げることがその地域の住民のニーズと乖離してしまう可能性を広げることにもなるんじゃないかと、ふと思った。 特に大都市に近いわけでもない、小規模の自治体が、先鋭化したことを継続してやっていくのは難しい。企業や向上の誘致と違って、5年10年と投資を続けても経済的に回収することは難しい。となれば、どうやって継続的な投資を続けてもらうために住民の理解を得るのかがポイントになってくる。 —— これは、推測の話になってしまうが、たとえばあちこちにできた公共ホールなんか、他所から来たコンサルが「これくらいのホールがあったほうがいいと思いますよ。なんといっても市の顔ですから」みたいなこといって、不必要なでかいホールをはりあって作らせてきたという面もあるんじゃないか。 この場合のコンサルは、建設会社系コンサルになるのかもしれないが、やっぱり大きなホールをたててもらったほうが、建設会社としては儲かる。自治体も起債してホールを作れば、翌年ほぼ全額戻ってくるみたいなところで、放漫になってしまったところがあるかも知れない。 が、相手はなんといっても専門家のコンサルだ。それなりの数字も持ってくるだろうし、素人では理論的に太刀打ち出来なかっただろう。 しかし、そうやって、炊きつけて持ち上げておきながら、風向きが変わって稼働率の低さが問題になれば、その責任を取るようなことは一切しない。 公共ホール建設ラッシュの後で言うと、他所から来たアート系のコンサルが、自らの芸術政策的な野心を満たすために、自治体を炊きつけて持ち上げて、住民が必要としているものではないものをつくらせたりやらせてしまったということもあるのではないかと思う。 悪い意味での「芸術の殿堂」と化してしまうような。 しかし、風向きが変わると、炊きつけて持ち上げたことを忘れ、「自分はアドバイスをしただけで、あれは自治体が自ら選択したことで、自分には関係ない。」みたいな顔をきっとする。 もちろん権限を持って判断している方に、その責任が大きい。 7,8割がたはあると思う。 が、芸術的な野心であったり、芸術畑からだけの視点でそれを持ち上げる発言をしたが側にも少しは責任がある。 そういう過去の反省に基づかなければ同じ失敗を繰り返すような気がする。もちろん自分がした失敗ではないのだろうけども、そういった流れを抑えておかなければ悪意なく善意で失敗してしまう。 制作者がアートと社会をつなぐものだとするならば、アートのことだけを見て議論するんじゃなくて、住民の一人ひとりがそういう方向性に対してどういう感覚を持っているのか。そこから始めるしかないのではないかと思う。 結局、今の制作系の殆どは自分も含めて、そういうことをやってこなかった。 大都市にいれば、そういうことをする必要もなかったし、考える必要もなかった。 せいぜい、見込み客となりうる1割の住民をみていればよかった。 だけど、地域住民の中に真の意味で入っていって、地域住民から支持されている感のある小劇場があったとして、そこに訪れればみんなそこが好きになるんじゃないかと思う。そしてそういうことをやった人は評価されるだろう。 でも芸術畑の人ってインテリの人が多いから、やっぱあんまり地域住民の中には入っていかない。これは学生運動が一般国民の共感を得られなかったことと同じような構造なんじゃないかと思う。 では、自分がそういうことやれるかと言われたら、仕事としてやれるならやれるかもしれないが、やはりいろいろ難しいだろう。 せいぜい、遠目で見て、芸術畑からだけの視点ではなく、地域住民の視点にも重点を置いたところで、いろんな言葉が出てくればいいんじゃないかなと思う程度だ。 いろいろ推測の部分があるから、共感できない人への説得力は低いんだけど。
by sailitium
| 2014-06-09 11:29
| 制作的なこと(演劇)
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