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福岡・九州地域演劇祭
プロフィール たかさきの簡単プロフィールです。 PINstage たかさきの舞台芸術関係の活動の屋号です。 FPAP 福岡の演劇等舞台芸術を支援するNPO法人です。最近のメインはほとんどココです。 九州地域演劇協議会 九州内の6つの地域演劇支援団体により設立。 FPAP職員の日々之精進 FPAP常勤職員がおくる赤裸々日報。 制作者は語る(fringe) 全国の制作者による注目のブログです。 昨日 今日 トータル にほんブログ村 スパム対策でトラックバックには、送信元記事にこのブログへのリンクが必要になっています。どうかご了承ください 最新のコメント
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2024年 03月 08日
紙幣に載る人が変わるらしい。 紙幣になる人が誰であっても、日本人にとっては大きな影響はない。その人の出身地にその人の記念館ができたり、観光面で少しはプラスがあったりするだろう。 でも、日本全体で考えると、それがどこであっても、日本国内のことだから影響はないと言える。 見方を変えて、外国から日本に来た人のことを考えて、日本にとってもっともメリットになるような人にするといいんじゃないか。 紙幣ってのはその国の顔だし、観光客へのPRにもなる。ちなみに10,000円札、1,000円札はそれぞれ10億枚以上あるらしい。 外国人からみて、紙幣の肖像になっている人は 「この国は、この人推しなんだなぁ。旅行中、この人の悪口とかは控えよう」 とか、思ってくる人も多いだろう。 それで、新しい3人は知名度が低すぎて、箸にも棒にもかからないから、まったく駄目だ。なんの印象も残さないだろう。 やっぱ外国人にとっても、どっかで見たな的な人がいいと思う。 でも、これにあたる日本の人って、なると、伊藤博文、夏目漱石、野口英世を超える人はパッとは思い浮かばないなぁ。 (外国だと、毛沢東、ホーチミン、タイ国王、ワシントンとか) 1種類くらいは、外国の人が知らない人でも、日本にとって非常に重要な肖像があっていいと思う。 天照大神とか、ヤマトタケルとか。いわゆる聖徳太子枠だ。 昔だと、聖徳太子、伊藤博文、岩倉具視とか、この国を発展させた歴史的大偉人の肖像が使われていて、日本に誇りを持つように誘導する洗脳の側面があったね。ただ、この洗脳は、そうすることによって国が安定し、結果として、他国に攻められにくくなるから、国民のことを考えても、基本的にはいい洗脳。 洗脳だなぁって気づいちゃったら洗脳でも何でもなくなるけど。 そんなことを考えていたら、Twitterでケンシロウがいいんじゃないか、的なツイートを見て、これはまさに目からうろこだった。 ドラえもんとかもいいかもしれないが、お札の肖像は、髪とかひげとか皺とかあったほうがいいらしいので、ケンシロウはいいかもしれない。 外国の人が、その紙幣を見たらかなりびっくりするだろうね。 #
by sailitium
| 2024-03-08 12:38
| さくてきな視点で(非演劇)
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2024年 03月 01日
MacOSのEvernote、以前のバージョンが強制的に使えなくなったかと思ったら、アップデート後にはブラウザベースのアプリみたいになっている。 エバーノートの素晴らしい特徴の一つだった、下位互換性が失われてしまった。慣れ親しんだ使いやすいバージョンを使い続けることができず、使いにくいバージョンを使わなければならない。 勝手にアップデートされたエバーノートでは、新しくノートを作って入力できるようになるまでに3秒くらい待たないといけない(パソコンが古いというのもあるのだが)。 これは、きつい、、、、 動作の雰囲気をみると、どうもデータをパソコン上ではなく、クラウド上に持っているようだ。 そのせいか、ネットにつながってないときに、検索してもノートが見つからなくなった。検索しても見つからないどころか、オフラインだと見られないノートもある。 これまで、2度、脱エバーノートを試みて、2度ともうまくいっていない。しかし、3度目のチャレンジをする。 以降先は、UpNoteだ。 以前UpNoteへ移行しようとして挫折したことがある。 これまで、Onenote joplin Notion を試用したことがあるが、私の使用環境だと、UpNoteが一番近い。試用した感想はコチラ (ワークチャット、カレンダー、アラートとかはもともとどうでも良かった。) エバーノートの使用端末数制限のときも移行を検討したが、今回アプリ本体が使いにくくなったので、また挑戦することにした。 前回のチャレンジでは使いにくいところがあれば、Evernoteに戻ってくればいいやってテンションだったが、今回は、多少のことは、人間が慣れることによってアプリに合わせるという方針だ。これまでとは紀雄が違っている。徐々にUpNoteを使う機会を増やしていく戦術だ。 使っているうちに、前回挫折の要因となったノートブック問題については、回避方法を発見した。こちらに記載 すべてのノートからだと、「ノートをフィルタする」ってのが出てくる、そこから「未分類のノート」を選ぶことで、ノートブックに入っていないノートを見つけることができる。 複数のノートブックに登録しちゃう問題は、力技で解決するしか無い。ノートブックに入っているノートの合計数と、すべてのノートを比較して、数字が一致しなかったら二重登録になっている。 二重登録を避けたいとしたら、総当たり的に心当たりのノートをひとつひとつ開いてみるしかなさそうだ。 まぁ、しかし、二重登録については、妥協できそうだ。 余白が広すぎて、スクリーンサイズあたりの情報量が少ないのは、作業効率低下に繋がりそうだが、これも多分、我慢できる。 で、そのうち慣れる。 (ってか、近年のアプリって、行間が広かったり、余白が多かったりして、愚民化政策じゃないけど、少し誘導されている感じがする) 一番のネックは、サービスの継続性だ。 10年20年と安定して使い続けられるのか。それができない場合に移行先が用意されるのか。 もう、ここは賭けるしか無い。 #
by sailitium
| 2024-03-01 12:38
| Mac、PC、スマホとか
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2024年 02月 29日
劇団テンクウ「深淵」。95分。3,830円(手数料含む)みた。 これは、ちょっとすごいものを見たかも。 テレビドラマとか映画とかでしか再現できない表現を演劇でやっていて、これはすごいなと思った。 これは、あくまでいい意味で言うのだが、ストーリーとしては、火曜サスペンス劇場みたいなストーリー。 演劇は、そういうストーリーやドラマの表現を苦手とする。しかし、いろいろなアイディア、脚本、テクニカル、役者のクオリティの高い仕事の組合わせでその世界観を形作り、維持し、観客をその世界観に連れていき、ドラマを味あわせた。 その仕事の組み合わせは、繊細なバランスでのみ成立する。その計算には、かなり高度な演劇的教養を必要とするし、それを具現化するには熟練のスキルを必要とする。 それをやってのけていた。すごいなと思った。 (きっかけ、レベル、フェードのあたりで、小さく違和感を持つところは少なからずあったけども) 一例を上げると、せせらぎの映像を流し、そこが田舎の山奥みたいなことを表現するのだけど、普通、映像とリアルの演劇というのは非常に相性が悪い。しかし、今回の作品では、ドレープ(舞台の上から吊り下がったちょっと透明な布)を活用して、そこに映像を出すという手法をとっていた。 舞台写真みるのが早いと思います。 https://www.instagram.com/p/C32bvutvMjg/ もし、これを普通のスクリーンに映してしまうと、映像がくっきりして映像の切れ目がはっきりして、相当な違和感になってしまう。なのだが、ドレープに当てるという手法で、必要なリアリティも得られ、そこに存在している役者や装置などとの違和感も生じないという効果を生んでいた。 でも、これもほんとドレープの素材や吊り方とか、映像の明るさとか、映像の素材とかが、絶妙なバランスで成立していたからこそだと思う。 (現に、人物を出す映像は、四角く切り取られていたので、違和感だった) その映像効果があることによって、主人公の女性が、実際に山奥に行って本当の父親に会うというシーンがリアリティを持って成立していた。 装置のバランスも素晴らしかった。 下手ツラにはテレビ局の打ち合わせスペース、舞台のど真ん中あたりから上手奥にかけてが、家族の茶の間という設定なのだけど、これも距離感のセンスが非常に良いというか、演劇的教養の高い配置だと思った。 近すぎると、茶の間のエリアとテレビ局がお隣さんみたいに見えてしまう。実際には10km以上離れたところに存在しているはずであり、違和感無くそのように見えなければならない。 また床面に、配置された白い石か骨のようなものも秀逸だった。基本的にはテレビ局や茶の間のエリア分けの視覚化なんだけども、いろんな流れがある小川のようにも見えたし、三途の川のようにも見えた。 視覚的にもアクセントになっていたし、機能性もあり意味的な重要性もあり、九州で装置賞があるなら、受賞確実みたいな仕事だったと思う。 役者の演技もよかった。いろんなところで活躍している役者さんが多かったように思うけども、演技の方向性もおおむね収束していたし、主人公の方の演技が、その中心にはっきりと存在していた。 小道具も、本物と思えるテレビカメラとか、農作業具とかでるわけだけど、普通の演劇でこういうのが出ると逆に違和感なんだけど、リアリティの高い世界観(映画やテレビドラマ的なリアリティの空間)を作れているので、違和感がないというか、本物じゃないと、逆にだめなところになっていた (普通の演劇だと、テレビカメラのモックアップみたいなものでも良いわけだが、映画・テレビドラマで、モックアップを使うと違和感がある。みたいな。) 照明も、多くの要素を阻害しないプランにするのは、かなりの苦労があったのではないかと想像する。 ストーリーとしては、かなり悲惨な話だ。 ・小学生以前の記憶のない主人公(女性) ↓ ・主人公の親は離婚して、主人公は母親と暮らしている ↓ ・正確には、母親、継父、継父の娘の4人ぐらし ↓ ・母親は、主人公の継父と不倫をして、離婚。その後不倫相手と結婚。 ↓ ・主人公の母親は、主人公の本当の父親は死んだと嘘をついていた ↓ ・テレビ番組の人探しコーナーに出演し、本当の父親を見つける主人公 的な流れなのだが、この先がすごい。 ・実は主人公は、子供の頃に、継父の娘を殺害していた(母親の不倫相手の家族を憎んで) ↓ ・それをかばって、自分が殺したと身代わりになろうとする主人公の父親 ↓ ・継父はずっと探していた娘殺しの犯人を見つけて、主人公の父親を刺す っていうストーリーだ。 で、ふつうこういう感じのストーリーを、演劇でやるのは無理なんだよね。やっても演劇的には成立しない。違和感まつりだったり、みてるほうが恥ずかしくなる三文芝居とかになってしまう。 なので、演劇ではふんわりさせたり、演劇的なデフォルメがなんらか入ってくるものだが、そういうデフォルメの入った表現じゃなくて、ほんとうにリアルな表現をやって、成立させている。 何度も言うけど、これは、実にすごいことだよ。 また、ストーリーも、最後は主人公が殺っていたというところに概ねスムースに展開していき、その進行にも計算されたドラマ性があり、惹きつけられた。 (まったく無理がなかったとまでは言わないが) そんなこんなで、上に書いたようなことを達成した作品ってのを、私は見たことがないので、すごいものをみたって印象だ。 一応、演劇見るときは常に批評的に見ていて、いわゆる素直ないいお客さんではない私だが。 以下、気になったところを書きます。 #
by sailitium
| 2024-02-29 12:40
| 観劇して|感想・批評
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2024年 02月 27日
刈馬カオス氏の脚本で、せんだい短編戯曲賞を受賞している作品とあって、かなり見に行きたかった。 (こんな選び方がそもそもマイナーなマニアだけなのかもしれないが) まず、脚本がすごかったね。 拘置所に収監されている女性に、ひとりの作家が面会するというところからはじまる会話劇。そこからの展開が、ドラマ的に非常に興味ぶかく展開する。また、社会的な問題や哲学的な問題について考えざるを得ない内容となっており、受賞に値する作品と感じた。 拘置所の面会室が舞台になっていて、基本は二人向かい合って会話。二人芝居で、ほとんど素舞台みたいなかんじだから、開演後5分くらいで集中を失う人もいたように見えた。しかし話が進むに連れて、客席の舞台への集中度が高まっていったように見えた。 今回の上演、脚本も良かったが、自分が見た回の女優さんのパフォーマンスが素晴らしかった。 脚本と役者の化学反応で、その役者から目が離せない、、、的な。 ↑ここで書いたブログの下線のようなことが起こっていた。 演劇ではよく化学反応っていうんだけど、化学反応ではなく、物理現象と呼びたいね。 脚本が良くて、役者がその役を理解して演じて、かつなんかそこに相性の良さみたいなものがあった時に物理現象が起きる。そして、ある種の地場が発生する。 それに感応する金属は全て惹きつけられてしまうみたいな。 とにかくこの女優さんの演技に惹きつけられた。 そこまでの地場が発生する作品は、50本に1本くらいかな。自分にとっては。まぁ、見れてラッキーだった。 テクニカルにもう少しリソースを割いてほしいってのはあった。そのへんの細かいところで気づいたこともあるが、関係者の方に直接お伝えする機会があったので、ブログでは割愛。 (ネガティブな点で、細かい部分は、直接言うほうがより良いと思っているので。) チケット料金は、前売・当日2,000円。 これだって、ここで書いた意味では高いかなと思うけど、今の福岡の相場観からすれば良心的な設定に入るのだろう。 (追記) 演劇って、そこに起こってないことを表現するのが苦手。 役者がいるとされる所在地以外で起こっていることを、セリフ(どうしても伝聞とか報告になる)で言ってもおもしろくもなんともないからだ。 あとえば、それがコントだと「じゃあ、おれが○○やるから、お前△△やってくれ」で片付く。 が、演劇でそれをやったら、成立しない。 今回の作品は、そこで起こっていることが中心だった。 #
by sailitium
| 2024-02-27 12:44
| 観劇して|感想・批評
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2024年 02月 13日
PandA「EN_TRY」見てきた。PandAは初見。感想を書くのも初めてだ。 場所は赤坂駅近くのESP学園の中にある会場。音楽ライブ向けなんだろうけど、客席60席くらいの本格的な会場。こちらも初めてきた。 芝居は、50〜60分くらい? 関西演劇祭では、ティーチインというシステムがあって、終演後に、観客から感想を伝えるような時間帯があるとのこと。 高校演劇では、幕間に講師からの講評を伝えたりする時間があるが、あれをもっと本格的にしたものかと思う。 今回の作品は、そのシステムを逆手に取った構成。役者を客席に仕込んでいて、ティーチインでその役者が、観客役として、実際に感想を言ったりするという念の入れよう。 (以下、ネタバレあり) ストーリー的には、演劇祭に出ようとする劇団の話。 (劇団員の大半は、実は、事故で亡くなっているけど、演出家と新入団の若手には、それが実際に生きている人間として見えている的な) 同劇団は演劇祭に出場する。そして、ティーチインによる観客からの感想を通じて、演出家は現実を受け入れ、実は事故でなくなっていたメンバーも安心して成仏(?)するってストーリー。 役者がみんなうまい。かつパワーがある。 中でも、演出家役の山田氏は素晴らしい演技だった。これは俳優賞をとってもまったく不思議ではない。 音響、照明を中心としたテクニカルも作品を引っ張っていっていた。 この作品が、ティーチインというシステムが根付いた関西演劇祭で好評を博するのは頷ける。 そういうシステムの裏を取ることができない、平場からドラマを作らないといけない本公演の作品も見てみたいと思った。。 あと、カーテンコールでのコント的なスキルを持つ出演者の掛け合いが面白かった。あの二方のコント見てみたいなぁ。 個人的には、いやーそうはならんやろ的な展開や、設定を引っ張り過ぎ*なところ、動機がスムースに入ってこないところ、熱血すぎるところは、自分の好きな方向性とは違って感情移入できなかったけども、これは好き嫌いの範囲かな。 (*お客さんにも完全にわかっているから、舞台上でもネタばらししていいのに、しばらく話を引っ張るところ) この方向性の作品にとっては、重要な批評にはならないと思って、小さい字にしています。 #
by sailitium
| 2024-02-13 12:43
| 観劇して|感想・批評
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